山形県は、ここ数年、県民ひとり当たりのラーメン消費率が、日本の1位と2位を行ったり来たりしているが、今回また、No.1となった。
日本一は、その他にも、日本酒の蔵元数の金賞受賞率も第1位、牛肉の最上級品質A 5の出生率第1位、1世帯当たりの人数第1位、一人当たりの映画のスクリーン数第1位、一人当たりの車所有台数第1位など、様々な分野で活躍している人や会社があり、様々なカテゴリーを牽引している。
山形県民の、共同体意識や、自然に培われた風土や文化も背景にはあるだろう。
果物や食品、つや姫に代表されるブランド米、市町村当たりの温泉数など。
その他にも、各々の産業が頑張っている。
話は戻り、ラーメン戦国時代の山形県の中、毎年行われる様々な美味しいラーメンのアンケートや投票で、確固たる地位を築いているのが、「赤湯ラーメン龍上海」だ。
本店が南陽市赤湯にあるが、同じのれんの店が、南陽市の宮内や高畠町、山形市では山大医学部病院前にもある。
今日の土曜日、スタッフ後藤と、山大医学部病院前の「龍上海」に行く。
やはり人気で、どんどん人が入ってくる。
正午には人が並ぶ。
赤湯の本店も、並ばずには食べられない。
そこまでしても、食べたくなる味なのである。
ひとつ、食べ物で共通した秘訣のようなものがあるとしたら、「味の継続」だろう。
美味しいと思ってリピーターになるが、「味が変わる!味が違う!」これが、食産業のほころびになるのである。
安定した味の継続が、とても重要な要素である。
今日の「龍上海」は、思った通りの味であった。
また、行こうと思ったのである。
ラーメン消費率No.1山形のトップ「龍上海」
映画「真田十勇士」と「KINGSGLAIVE」を梯子
昨日の10月14日(金)、仕事やアボイントが終わった後、ムービーオンやまがたで、映画を2本観る。
「真田十勇士」と、「KINGSGLAIVE・ファイナルファンタジーⅩⅤ」である。
2014年に、記録的大ヒットを打ち立てた舞台「真田十勇士」が、同作品の演出を手がけた堤幸彦氏が監督を務め、この度、超ド級のエンタテイメントムービーとして映画化された。
少しジョークが多い作品と思いきや、さすが堤監督らしい、ストーリーの展開や、ヒューマンドラマの要素や、ダイナミックなエンディングなど、上質な爽快感を味わえた。
時は、天下分け目の関ヶ原の戦いから14年後、徳川家康が豊臣潰しの総仕上げとして、大阪城を20万人で攻めるのである。
その時、大阪城に出城(真田丸)を作り、十勇士と共に徳川軍を撹乱しまくるのが真田幸村である。
しかし、この映画の主人公は、真田幸村ではなく、猿飛佐助(中村勘九郎)である。
実は、腰抜けだった真田幸村を、「嘘で本物の天下一の武将に仕立て上げる」という、猿飛佐助の戦略だったのである。
勘九郎の演技は、素晴らしいと思った。
もう一人の主人公が、霧隠才蔵(松坂桃李)である。
奇想天外な空を飛ぶ、忍術使い。
猿飛佐助との対比が絶妙である。
才蔵に惚れている忍の里の姫、火垂(大島優子)。
後半は、観客を魅了する。
ダメな真田幸村が意外性があったが、やはり存在感はあった。
実戦も、とても迫力があった。
痛快、爽快、スッキリするエンディング!
さすが、堤幸彦監督である。
堤幸彦監督は、昨年は2回も山形にいらしてくれた、とてもシャイで、素敵な人であり、彼の才能が、この作品には沢山詰まっている。
是非、観て欲しい!
もう一作は、ファイナルファンタジーの最新作ゲームとのコラボ映画「KINGSGLAIVE」である。
ファイナルファンタジーは、全世界で1億1500万本以上のセールスを記録。
ゲームの世界観から溢れた映画である。
全ては『未来の王』のために。
ニックス・ウリックはルシス国王のレギス直属の特殊部隊「王の剣」の一員。
ルナフレーナ・ノックス・フルーレ。
選ばれし王のノクティスの妃となるため、インソムニアへ向かう。
レギス・ルシス・チェラム。
クリスタルに守られた、魔法国家ルシスの113代国王。
一人息子のノクティスを導くために、ルナフレーナを守る。
ファイナルファンタジーをやっている人には、たまらない作品だろう。
映像美も素晴らしく、是非、一見の価値は高い。
やはり、映画は凄いと思った夜であった。
発熱と 「TSUTAYA」でDVD
山形ワイヴァンズ、青森ワッツを延長で降す!
10月15日(土)、青森県スポカルイン黒石で行われた、青森ワッツとの初戦。
棟方ヘッドコーチにとっては、出身地であり、古巣との戦いである。
肩の故障で退団した外国人の代わりに、今週メディカルチェックを済ませ、Bリーグへの選手登録も完了したゲイリー・ハミルトンが、15日の青森ワッツ戦から出場した。
過去のbjリーグで、2回もリバウンド王に輝いている逸材の32歳。
両チーム譲らず、同点の67対67で40分を戦い終えるが、ここから、ワイヴァンズ史上初の、5分間の延長戦に突入する。
最後は、78対77の1点差で、かろうじてパスラボ山形ワイヴァンズの勝利である。
山形ワイヴァンズのリードに、青森ワッツは、ファールゲームで逆転を狙う。
ここで、ワイヴァンズは、フリースローを何度も外し、差を引き離せない。
ラストは、とてもストレスが残る試合となった。
明日こそは、スキッと勝ちきり、地力の差を見せて欲しい。
現地に随行している笹原社長にも伝えた。
写真は、同じく随行スタッフのパスラボの、舟岡絵理課長代理から送られたもの。
吉報を待っていたいが、今は、スポナビでライブで観られる。
2勝して、勢いに乗りたいものである。
阿部喜之助氏「旭日小綬章」受章祝賀会
約1ヶ月前の9月17日(土)、山形グランドホテルにて、阿部喜之助元山形市議会議長の「旭日小綬章」の受賞祝賀会が開催された。
約300人の方々が集まり、盛大に開催された。
吉村美栄子山形県知事、鹿野道彦元農林水産大臣、舟山康江参議院議員、市川昭男前山形市長、斉藤山形市副市長等が参加し、阿部喜之助氏と奥様の功績を讃えたのである。
乾杯は、清野伸昭山形商工会議所会頭。
万歳三唱は、吉村和武県議が行った。
阿部喜之助氏は、山形南高校卒業後、家業の農業に従事。
その後、山形市消防団副団長、保護司、芸工大前土地区画整理組合理事長、山形市議会議長、山形県及び東北市議会議長会会長を歴任される。
また、消防活動で山形県より特別功労章受賞、郵便局長として郵政大臣表彰、同じく総務大臣表彰を受ける。
さらに、保護司として法務大臣表彰、市議会議員25年表彰を受ける。
そして、この春、旭日小綬章受章を受章された。
山形県内の、政財界の方々、山形市役所職員やOB達、山形市議会議員の方々、山形南高校同窓会、地元後援会の、各階各層からお祝いの言葉があったのである。
自分と阿部喜之助先生が、出会い、同じ価値観の上に立ち、共に歩みだしたのは、父が亡くなったとき。
その後継をめぐり、阿部喜之助市議と高橋啓助市議のお二人と、鹿野道彦先生と、当時の助役の市川昭男氏は、何十回も打ち合わせをしたのを覚えている。
考えてみると、あの選挙こそが、党派を越えたローカルパーティー的な、市民党としての選挙であったと思う。
その枠組みと手法は、その後の選挙に活かされていく。
ダイバーシティメディアでは、以前、旧ケーブルテレビ山形の時代に、阿部喜之助氏より「聞かせて昔のこと」という、自伝的な番組にご出演いただいている。
その番組の中でも、この日も、阿部先生が話すことは一緒であった。
「皆さんとの出会いによって、今の自分がある!」
ご夫妻共々、末長く幸福で在られることを祈念したい。
おめでとうございます。
山形ワイヴァンズ、今シーズン初の2連勝!
今日の10月16日(日)に、アウェイで行われた青森ワッツとの2試合目。
今までの対戦相手とは、2選して1勝1敗の五分できていた。
何とか、昨日は、延長までもつれ込みながらも、1勝を掴んだパスラボ山形ワイヴァンズ。
初の2連勝に向けて、青森ワッツ戦に臨む。
アウェイ戦は、Bリーグの規定で、白のユニフォームである。
場所は、青森県黒石市のスポカルイン黒石。
久しぶりに、村上駿斗選手が、2桁の10点を取る。
佐藤正成選手は、相変わらず安定しており、今日も20点を取る。
今日も、昨日同様の拮抗した試合となった。
第1ピリオドが、山形ワイヴァンズが13点、青森ワッツが14点。
第2ピリオドが、山形ワイヴァンズが15点、青森ワッツが17点。
前半で、山形ワイヴァンズが28点、青森ワッツが31点と、2点ビハインドであった。
棟方ヘッドコーチの采配や激が、少しずつ、ワイヴァンズらしさを取り戻していく。
後半は、2人の外国人と井澤選手、小島選手等のゴール下のプレイや、高橋祐二やセス・ターバーのドライブなどで逆転する。
最後は、昨日とは逆に、青森ワッツがフリースローを連続して外し、自滅した感があるが、とりあえず2連勝は、選手やスタッフの全員で掴んだ勝利であろう。
山形ワイヴァンズが64点、青森ワッツが61点で、3点差である。
これで、何とか波に乗れればありがたいのだが…。
今週末の土日は、中山町でのホーム戦で、岩手ブルズとの初公式戦。
是非、多くの皆さんの応援をお願いしたい!
茨城ロボッツ山谷社長と、今季初の鴨鍋。
10月8日(土)、B2リーグで、パスラボ山形ワイヴァンズと茨城ロボッツが、初の公式試合を行う。
その夜、茨城ロボッツの山谷社長と、パスラボの幹部が、山形市の「辰ずし」で、久しぶりに会食をした。
今年に入ってから、山谷社長との会食は、何度か予定されていたが、双方が忙しく、なかなか調整がつかず、この日となってしまった。
実は、山谷社長は、パスラボの設立に大きく関わってくれた恩人である。
当時、NBL・NBDLの山谷専務理事から、参入を認める電話が来たのが、2013年8月8日(木)の午後5時50分であり、その翌日の、2013年8月9日(金)に、株式会社「パスラボ」の創立総会と、参入記者会見を開いたのである。
リンク栃木ブレックスの鎌田社長から、栃木の下部団体のNBDL2部の「TGI・Dライズ」を譲っていただき、リーグに申請をし、受理されたのである。
あっという間に、電光石火のような、プロバスケットチーム参入だった。
田臥選手を擁する現在の栃木ブレックスの鎌田社長も、Dライズの譲渡契約を発表するために、山谷専務理事と山形まで来てくださった。
当時のパスラボ山形ワイヴァンズの、金澤ヘッドコーチ、キャプテンの鳴海や石川も、Dライズの所属だった。
鮫島は、山谷・鎌田のご好意で、レンタルでワイヴァンズに来ていたのである。
そもそも、bjリーグの仲野社長から勧誘された山形であるが、それをひっくり返し、NBDL参入を決めたのが、この二人の師弟コンビなのである。
元々は、山谷氏は、リンク栃木ブレックスの創立社長であり、鎌田氏は選手であった。
山谷氏が、bjリーグとの合併も見据えて、NBL・NBDLリーグの専務理事に引っ張られたのを契機に、鎌田氏が栃木ブレックスの社長となったのである。
その後、何回か、皆ご一緒し、大騒ぎをしたのである。
まさに、バスケット界の『黎明の時』であった。
その日の創立総会から、すでにマスコミ全社が集まり、注目度は凄かったと思う。
それから、たった3年足らずなのだが、バスケット界は、大きな変革期を迎える。
リーグを牽引していた山谷専務理事が、破綻寸前の「茨城ロボッツ」の前身の「つくばロボッツ」の社長に、請われて就任され再建に当たったのである。
彼は、必要とされた限りは、やらなければならないとの思いだったと、鴨鍋をつつきながら話す。
当初から、山谷社長が再建したチーム「茨城ロボッツ」は、侮れない…と、思っていた。
リンク栃木ブレックスを創立し、田臥選手を勧誘し入団させ、日本一にした男である。
今回の初戦は、20点以上差をつけられて、完敗であった。
しかし、気持ちが良い、活き活きとしたチームを作られたな!と、敬意を抱いた。
負けたのは残念だけど、よく、この短期間で、会社とチームを建て直したと感動していたのである。
翌日は、その茨城ロボッツに対して、30点以上の差をつけて、石川の現役引退試合を勝利で飾れた。
石川の最初の就職先の社長が、山谷社長だったのである。
天の配剤だと思った。
この日は、松茸ずし等を食べ、皆はビールやヒレ酒。
のどぐろも美味しかった。
辰ずし名物の鴨鍋を、今シーズン初めて食べる。
中ずしと、〆ずし。
これからも、試合は試合としての真剣勝負で、それ以外は、いつまでも、兄弟関係を続けることを約束し、二次会へ向かう。
車の中から、栃木ブレックスの鎌田社長へ、「お前も山形に来いよ!」と山谷社長。
自分も話し、年末か年始に、山谷社長、鎌田社長など、みんなで山形で、忘年会か新年会をやろうと決めた。
この日は、山谷社長率いる茨城ロボッツがB2リーグ1位、鎌田社長率いる栃木ブレックスがBリーグ1位になった日であったのは、偶然なのか?
自分は、その両社長と話したのも運かあるのかもしれないと、思った夜であった。
山形の美味しいソバを食べに…「山形一寸亭」
10月18日(火)、数ヵ月ぶりにNTTcomの新田課長が来社した。
新田課長は、30代半ばから、山形市や山形県、さらには東北のケーブルテレビ局関係の情報化の為に、尽力されてくださった。
御礼申し上げたい。
新田課長は、ここ数年、総務省のアプリックへ出向されており、彼のキャリアとしては、とても重要な出向だったと思った。
今日も、そんな話から、様々なご相談や打ち合わせをし、新たなプロジェクトを数個立ち上げられるようなスキームを作ろうとなる。
そして、向かった先は、「山形一寸亭」
「冷やし肉そば」は、とても有名だが、今回は、せいろを進めた。
そして、腰のある、噛みご耐えがあるそばであった。
新田課長は、とても、喜んでくださる。
舞絵は、旬の天ぷらで、塩で食べる。
その他、銀なんを食べる。
やっぱり、そばそのものが美味いのである。
映画「スポットライト」と「ルーム」の魅力
見逃してしまった映画を、先日、体調が悪くなった時に、DVDを借りて2日間にわたり鑑賞した。
アカデミーシリーズと言うか、1本目が、今年度のアカデミー賞で、作品賞と脚本賞をW受賞した、映画「スポットライト」である。
監督は、トーマス・マッカーシー。
アメリカだけでなく、世界の中でも、絶大なる力を持つカトリック教会。
ボストン・グローブ紙に、新編集長が着任してから、ある神父の性的虐待を掘り下げる方針を打ち出す。
独自の取材を積み上げている「スポットライト」を手掛ける4人の記者たちと、それを隠蔽しようとする人々との戦いである。
実話に基づく映画であり、だからこそ、張りつめた、サスペンスの空気感が、驚きを連続させ、あっという間に見終え手しまった。
正義とは何か?
ジャーナリズムと、教会、そして、アメリカ社会との戦いであった。
必見である。
次は、アカデミー主演女優賞を獲得した「ルーム」
当然、主演女優賞を取ったのだから、ブリー・ラーソンの演技は素晴らしかった。
しかし、子ども役の、ジェイコブ・トレンブレイが、素晴らしすぎて、鳥肌ものだった。
登場人物は、ほとんどなく、やはり、彼女と彼…つまり、この母子のそれぞれの役割所得と共依存が、とても印象に残った映画であった。
これも、面白い!
豚骨食堂リポート第3弾!激辛パイタン!
宴庭「はやと」オープン…隼人の夢が叶った☆
10月19日、この日、細谷隼人の夢が叶った瞬間のような気がした。
彼と出会ってからの、様々な思い出が頭をよぎった。
隼人が、やっと、ここまでたどり着いたことが、自分のことのように嬉しかった。
フジテレビの人気番組「あいのり」に出演し、山形弁で周囲に優しさと強さを放ち、東北人らしい真面目と誠実さが、あっという間に全国的な人気を博したのである。
彼が帰国して番組を卒業してからも、ネット投票で「あいのり出演男性好感度ランキング」のNo.1にいつづけた。
自分と出会ったのは、その後しばらくして
からである。
正直、約12年前の隼人は、混沌の中にいたように感じた。
前に進みたくても進めず、どの道が本当の自分になれる道なのか…、もがき苦しんでいるように感じた。
「あいのり」に出演し、全国的な人気者になり、メディアや周囲の期待に応えて、テレビに出演して、夢を提供したい…という思い。
一方で、地域と家族へのこだわり…とりわけ父親の寿司職人としての背中への愛情と尊敬の念。
特に、この2つの道の折り合いがつかなかった。
また、隼人自身、それをやり抜く覚悟も自信もまだなかった時代である。
そして、自分と隼人で話し合って1つの道を決めた。
旧ケーブルテレビ山形(現ダイバーシティメディア)の人気情報番組「バイキングステーション」の中に、「隼人組」というコーナー番組を作るということ。
「山形を元気にしたい!」ということを、メディアを通して隼人が実践する。
そして、平行して、「食の修行を、アルバイトなどを通してやること」
1年目は、日本一高いクリスマスツリーを作る!
…霞城セントラルのクリスマスイベントとタイアップして実現した。
2年目が、写真の「天童鍋合戦」に、出演し1年目から、準優勝にあたる「鍋の局(つぼね)」をいただく。
老舗料亭「四山楼」の若女将と、板長からは、大変ご指導を頂いた。
劇団座長の経験を持つ、水口牛氏が演出を担当し、隼人組が、初めての舞台芝居に挑み、遊学館で発表会に臨んだこともあった。
さらには、「ケーブルテレビ山形の前の看板に大きな絵を描きたい!」も、隼人組でやった。
いつの間にか、番組のセンターMCをやり、今年3月まで、隼人がケーブルテレビ山形の顔の一人であったことは言うまでもない。
何度も、隼人と会社などですれ違うたびに、いつも自然とポーズが出るのだ。
宴庭「はやと」は、上山市のカミンのすぐ側で、お父さんが上山市十日町で42年間やってこられた「弁天寿司」と、隼人の創作和食が、合体してひとつの店となったのである。
12年を通して、夢が叶う父と息子。
この日の隼人の顔は、とても輝いていた。
最高のカツオであった。
店の外からカウンターが見える。
皆が、すべてに興味津々である。
料理は、すべて美味しい。
須貝も、小林も、大満足であったと思う。
お父さんが、隼人をサポートしながら、進めていく姿が、感動的であった。
美味しい、肉とネギトロ。
蔵王山とブドウが、店のテーマだそうだ。
こちら、ずっと隼人と番組を共にしてきた、小林ディレクター。
生寿司と、松茸のお吸い物。
横戸上山市長と、近所の方々である。
結婚式には出なかったので、奥さんとは初対面…とても素敵な方であった。
いつまでも、来店者を楽しませてくれて、さらには、宴庭「はやと」が、全国的にも知られることを、心から願いたい!
いよいよ、ここからは、きっと、人生の本番だからね!
ホリエモンこと堀江貴文社長との再会。
いろんなことがあった…。
堀江貴文と出会ってからの約12年間に起きた出来事は、まさにドラマチックで、シリーズものの映画になるような、ダイナミックなものであった。
その時の、会話や一緒に話した事が、鮮明に蘇る。
10月21日(金)夜、酒田市での講演会が終わったあと、タクシーにて、約1時間40分をかけて、山形まで来てくれた。
昔から、破天荒なことをするなぁと思えば、礼節を重んじる真面目な性格。
最近では、破天荒なことというより、様々な人間との関わりや、イノベーションをかなり意識しているようだった。
地頭が良いだけに、瞬時に色々なものが分かり、行動も決断も、常人の追い付くものではない。
以前は、敵か味方かを瞬時に見分け、自分に近寄ってくる人が、何を求めてくるのか
をすぐ感じていた。
間違いなく、普通の人のスキルとは、格段にレベルが違う。
夜、10時30分頃に、ムービーオンやまがたに到着する。
最初は、ムービーオンと繋がっている「八文字屋」との、原作本、CD、DVDなどと、映画館とのメディアミックスから、カルチャーコンプレックスの親和性について説明をする。
さらに、この「ムービーオンやまがた」は、エンツォフェラーリをデザインし、今はJRのデザイナーとして、秋田、山陽新幹線をデザインした、奥山清行氏がデザイン監修したものであると話す。
そして、シアター1の上に存在する、オリエンタルカーペットが部屋中に敷いてある、貴賓室を案内する。
カーテンを開ければ、シアター1を最上階から観られるのである。
MX4Dは、初めて体験するそうで、デモで動かした。
1度は、現在の「YMF山形国際ムービーフェスティバル」の会場である、「ムービーオンやまがた」を、しっかり堀江社長から見てもらいたかったのである。
何故なら、YMF山形国際ムービーフェスティバルを創設したのは、自分と堀江貴文なのであるからだ。
自分が運営委員長で、当時のライブドアの堀江社長が選考委員長であり、開催場所は、山形市の七日町の「シネマ旭」であった。
翌年からは、堀江社長が物理的に参加できなくなり、第2回目からは、村川透監督が、今もずっと選考委員長を務めてくださっているのである。
最後に会ったのが、2009年の10月15日だから、調度7年ぶりの再会となる。
チャーボーこと、堀江社長の右腕の竹内氏
とも同様である。
この7年間を埋めるように、お互いの事業を説明し合う。
堀江貴文との最初の出会いは、2004年の10月12日。
彼が、楽天の三木谷氏と競り合い、仙台市に野球チームを作ろうとしていた頃、東北の市民のアンケート調査を、各新聞社が載せた。
楽天が7%の支持率に対して、ライブドアは40%の支持率であった。
それを受け、TCN東北のケーブルテレビ局13局は、ライブドアの堀江社長と提携した。
そこで、両者が契約をし、ライブで合同記者会見をした。
結果としては、ライブドアの夢は叶わなかったが、この日の夜は、「香味庵」でみんなで「芋煮」を食べた。
堀江社長は、「こんなに美味いもの食べたことないっすよ!」と、話していたのを記憶している。
翌年の2005年の、第1回YMF山形国際ムービーフェスティバルを、二人が創設して開催する。
同じ頃、自分と堀江社長で、ワンコインズシネマ(500円で映画を観られる映画館)を、山形市のイータ、渋谷のジャック&べティ、横浜市にひとつの、3店舗を設置し、ライブドアが持っていた、ネットビデオを上映した。
この年の暮れには、ジェット機で山形入りし、サンデージャポンの取材班も同行。
丸勘青果市場、佐藤牛肉店、長栄堂、山二醤油とさとみの漬物口座などを回る。
企業セミナーも、パレスグランデールで開催した。
そして、2008年、反省の時を過ごした後、静かに誰にも知れずに、平清水焼きを作りに来て、蔵王温泉の高見屋に泊まる。
この時も、大分話をした。
翌年は、少し元気になり、ゴルフ三昧となっていた。
7月20日と21日に、山形のゴルフ場を回っていた。
そして、まさかの2回目の反省の時。
あれから、時間は7年も過ぎたのである。
電話は、ちょくちょくしていたが、お互い、しっかり話をしたかったので、昨日は、さわりだけだがしっかり話せた。
場所を移し、いつも来るフェイスのママに、美味しい芋煮を頼んでいた。
時間はすでに11時30分。
嫌な顔ひとつしないで、堀江社長にとっては3回目となるフェイスである。
堀江社長と竹内氏からは、米沢牛で作った芋煮と、辰寿司の特上寿司を食べてもらう。
ここからは、十勝のロケット開発の件、ピロリ菌キットの件、ドローンのDリーグ開催の件、映画製作に関する件、サッカー(Jリーグの正式なアドバイザー)の件、バスケットBリーグの件、シェフにチャレンジしている件、堀江貴文イノベーションネット大学の展開の件など、それはそれは、頭の回転が早く、とても良い状態だった頃の、天才堀江貴文が舞い降りてきたのだった。
昨日の夜だけで、自分とのコラボレーション案件は、4つ、5つのプロジェクトに上り、週明けから、進めるつもりである。
パスラボ山形ワイヴァンズの試合も、「是非観にきたい!」と言っていた。
7年の時を経て、以前以上の最高の状態のホリエモンが帰ってきた喜びがあった。
彼が、反省の時期を迎えたとき、今まで「ホリエモン」と、どのマスコミも沸き上がっていたが、国税が入った瞬間、手のひらを返したように、彼を悪人としての大叩き上げが始まるのである。
堀江の目的は「金」ですよ…と、誰かが言うと、マスコミは一斉に取り上げる。
でも、彼は、自分にはそんなことを話したことは1度もなかった。
自分へ取材に来た方々には、「堀江の目的は金ではありません。金はあくまでも手段で、彼の目的は、人類社会の進歩です」と話した。
昨日の夜は、それが証明されたかのような夜となる。
午前2時頃まで話しても、話は尽きなく、また改めてと言うことになった。
彼が、自分の可能性をどこまで広げられるかを、これからもしっかり見届けてあげたいと心より思った。
12年前のように、今も夢を実現することを、真剣に考えている自分達がいた。
物語は、まだ、始まったばかりなのである。
元吉本クリエイティブの竹中功専務の「よい謝罪」
10月21日(金)の午後5時から、元よしもとクリエイティブ・エージェンシー専務取締役、よしもとアドミニストレーション代表取締役であった竹中功氏と、5ヶ月振りに再会する。
彼は、経営者、マネージャー、芸人、講師、作家、サラリーマン、政治家…どれをとっても、何でもやれそうで、でも、どれも彼を活かしきれない。
そんな、今までのどの分野にもハマらない、新しいエンタテイメント人間であり、竹中功という人間の、次のフィールドを探すのが、楽しみでしょうがない。
今、彼は、ライフスタイルのひとつである、受刑者が東北で一番多い1000人を収監している山形刑務所へ、毎月1回ずつ通い、社会復帰の為の、様々なケーススタディを持ち込んだ講師を務めている。
素晴らしいことであり、吉本を辞めてからも続けている。
その帰り道、もう一泊していただき、様々な話をする。
この日は、「浜なす分店」で、お造りや、旬の松茸の土瓶蒸しなどをいただく。
そして、やはり山形は、この時期は芋煮である。
女将のご主人の板長も修行場所は大阪。
今度は、息子さんが、大阪に修行に出るそうで、竹中氏と出会って良かったと話していた。
ハタハタを食べるが、もうそんな季節。
松茸ご飯と、なめこ汁の相性も良い。
自分と竹中氏も、相性が良い。
一緒にいると、不思議と楽しいのである。
彼は、今秋、本を出す。
タイトルは「よい謝罪」である。
島田紳助や、次長課長の謝罪の現場に、いつもいたのは、竹中功氏なのである。
吉本興業の謝罪会見を取り仕切って来た、謝罪マスターが、「謝る技術」を書いている。
最後は、言葉の使い方ひとつで、謝る姿勢の良し悪しで、その後の未来が変わるのである。
是非、必見!
アントニオ猪木さんと、北朝鮮へ行ったり、イラク戦争の前に、フセイン大統領と会ったり、松田優作の遺作「ブラック・レイン」に出演していたり、吉本辞めたと思ったらニューヨークのハーレムで暮らしたり…とにかく、規格外のおっさん。
新しい会社も作ったそう。
「モダンボーイズ」
それにしても、ただでは死なないおっさんやで!
山形ワイヴァンズVS岩手ビッグブルズ初戦
9月9日(金)の東北カップでの岩手ビッグブルズ戦では、接戦を制し、薄氷の勝利を掴んだ。
公式戦では、初対決である。
石川裕一が、スーツを着て、初のホーム戦で、アシスタントコーチをする。
自分からは、「初の中山町での公式戦であり、中山町にて開催できたことを嬉しく思う。また、冬の間、暖房を使える体育館として、練習に活用させていただいていることに対して、感謝と御礼を申し上げる。」
と話す。
佐藤俊晴町長からもご挨拶をいただき、「バスケットボールの歴史的1年に当たる時に、中山町でプロのプレイの醍醐味を見られるのは楽しみである。」とのご挨拶を頂く。
中山町の森谷副町長や秋葉教育長、地元選出の鈴木孝県議や吉村和武県議も観戦する。
岩手ビッグブルズは、まだ勝ち星が無く8連敗。
しかしながら、外国人の補強もあり、がむしゃらにぶつかってくる。
それでも、山形ワイヴァンズは、前半で、34対24と、10点のリードで折り返す。
ワイヴァンズチアリーダーたちも、初めての中山町で、会場を盛り上げる。
会場も、チームも、最下位の8連敗のチームから、負けるわけがないと、油断していた。
後半は、岩手ビッグブルズのディフェンスが強くなり、思いもよらず苦戦となる。
流れが、こんなにも変わるんだと、驚きの連続であった。
必死になる岩手ビッグブルズに対して、気持ちで負けていたかもしれない。
あれよあれよという間に、逆転を許してしまう。
石川裕一のアシスタントヘッドコーチは、似合っていたが、本来のチーム力や選手層の厚さは、間違いなく山形ワイヴァンズの方が上にも関わらず、大差で負ける。
山形ワイヴァンズが、55点。
岩手ビッグブルズが、67点。
完敗である。
正直、気持ちで負けた。
勝とうとする意欲が、岩手ビッグブルズが上だった。
落ち込みは、かなりひどいが、何とか持ち直し、明日の2戦目は、どんなことをしても、勝たなければならないのだ!
こういう時こそ、地力が試されると思っている。
あとは、心の目的地である!
シビレ過ぎて、刺激最大のワイヴァンズ勝利!
シビレた!
心臓に悪い!
刺激あり過ぎ!
こんなにもオモシロイとは…。
絶対、また観に来ます。
興奮しすぎて、メチャ疲れた!
そんな言葉を残しながら、会場を後にする「山形ワイヴァンズと岩手ビッグブルズ」の2戦目を観た来場者の方々。
それもそのはず。
ラスト6秒で、1点差でパスラボ山形ワイヴァンズが勝った試合である。
この日も、日曜日の休日、多くの方々が、中山町総合体育館に足を運んで下さった。
前半は、昨日のようなペースで快調である。
山形ワイヴァンズが33点、岩手ビッグブルズが24点。
それだけに、昨日の悪夢とダブってしまう。
チーム関係者も、会場につめかけてくれたファンやブースターも、昨日のことを知っている為に、リードしていても、なんか不安感を拭えないのが本音である。
そして、やはり岩手ビッグブルズの猛攻…というより、何となくいつのまにか点差を縮められ、気がつくと逆転されていた。
試合終了12秒前までは、岩手62点、山形61点で、岩手が1点リード。
残り8.5秒で、セス・ターバーがファウルを受けフリースロー。
これを2本入れ、山形ワイヴァンズが63点になる。
そして、逃げ切り、1点差で勝ったのである。
斉藤ひとみアナウンサーによる、初めてのワイヴァンズ勝利者インタビュー。
キャプテンの佐藤正成選手が、応援への感謝と、次回への決意を述べる。
実は、前節から飲食が、観戦しながらもオーケーとなり、この日の中山総合体育館の入り口に、「中津唐揚げ」が店開き。
「からいち」さんが、大流行であった。
ムービーオンのシネコン設立社員の五十嵐大子(旧姓鈴木)は、旦那とジュニアをつれて観戦である。
懐かしく、嬉しくなったのである。
しかし、プロバスケットボールの社長になり、こんなにも、天国と地獄を味わい、疲れた試合は初めてである。
まだまだ、これからも、強くしなければならない!と思いながら、ホットしたのも本音である。
まずは、これで、東地区全チームとの戦いは一巡した。
これからが本番である。
お気に入りの店「チャーリー・ブラウン」
ムッシュ・サトウで、増岡社長とディナーミーティング
10月22日(土)、山形の王道フレンチNo.1と言われる「ムッシュ・サトウ」で、日本テクトホールディングスの増岡社長と、ディナーミーティングをする。
今回で、2回目となる2人だけの打ち合わせであり、本音の話ができる時間と空間である。
日本テクトホールディングスの増岡社長は、10年以上の付き合いであり、良い時も悪い時も、変わらず付き合ってこれた、ありがたい存在である。
増岡社長のスキルは、全国の各分野で第一線で活躍している方々と、同じレベルであり、その才覚は群を抜いている。
さらに人間味があり、優しさがある。
味方にするならば、最強の人材であり、その戦略的な知略は、最強の武器となるだろう。
しかし、敵となれば、執拗にあの手この手で攻めてくるドSであり、ヤンキー的な凄みの中、クールな詰め将棋のように、相手は、将棋盤から転げ落ちるだろう。
(…オー怖い!)
マグナム東京や、諏訪魔を従え、彼は、黙して目で合図するのだ!
(オー、マイ、ゴッド!)
さて、ここのムッシュのフレンチは、本場の王道であり、その安定感は、他の追随を許さない。
本当に落ち着く味である。
そんな場所であり、増岡社長の放つ世界観が、自分を楽しくさせてくれる。
「ムッシュ・サトウ」のコーンスープは濃厚で、コーンが溢れてくるような食感がある。
美味しい料理も味も相性があるように、人間も相性がある。
自分が、ケーブルテレビ山形を設立して、約24年。
その前半の12年間は、地域に根差したケーブルテレビ局にしたいと、街の息吹や四季の物語、「小さいけれど、されど尊い物語」を探しながら番組を明け方まで作っていた。
後半の12年間は、YMF山形国際ムービーフェスティバルや、ムービーオンのシネコン開設、TCN東北ケーブルテレビネットワーク、スポーツビジネス、学校経営ナドナド。
事業のカテゴリーは、格段に広がった。
転機となったのは、父親の死であり、多くの有能な方々との出会いであった。
堀江貴文、小山薫堂、行定勲、林郁、古賀俊輔、船越英一郎、東山紀之、森友嵐士、上田正樹…その他にも、大勢のリスペクトできる方々との出会いが、自分の人生を豊かにしてくれた。
そんな中で、増岡社長は、いつも隣にいてくれたような気がする。
きっと、これからも、そんな感じなのだろう。
最高のステーキを味わう。
間違いなく、ドーパミンが体の疲れとストレスを取り除いてくれる。
増岡社長の幼馴染みや同級生たちと会うと、すぐに友達になってしまう。
相性がいいのだ。
今月末はハロウィン。
不思議の闇は、夢もロマンも含んでいる。
美味しいデザートを食べて、飲めない二人は、この日もまた、夜の町に繰り出したのである。
映画「ジェイソン・ボーン」マット・デイモンの本気度!
ずっと楽しみにしていた。
YOU KNOW HIS NAME(ユー ノウ ヒイズ ネーム)
そう、「ジェイソン・ボーン」
これまでの4本のボーンシリーズ。
2002年の「ボーン・アイディンティティー」
2004年の「ボーン・スプレマシー」
2007年の「ボーン・アルティメイタム」
2012年の「ボーン・レガシー」
(マッド・デイモンは出演していない、スピンオフ的なストーリー)
約10年ぶりのジェイソン・ボーン役をこなすマッド・デイモン。
時代は変わったし、身体も若くはない。
しかし、やはり権力の持つ闇と、ボーンは戦っていく。
ポール・グリーングラス監督も、マッド・デイモンとの呼吸はピッタリであり、ジェイソン・ボーンの天才的頭脳と身体能力を、見事に表している。
そして、今回、新世代の有能な能力のある俳優を起用したいとのことで、アルシア・ヴィキャンデルの起用となる。
映画「リリーのすべて」で、アカデミー助演女優賞に輝く。
やはり、こんな男に憧れると言われる…そんなマッド・デイモンである。
今回は、ムービーオンでは、4Dバージョンもやっているので、早めにご覧いただきたいのだ!
サプライズ!ブリが1匹送られてきた!
サプライズのブリが届きました!
スタッフのマチャが言っている意味が分からなかった。
10月25日の火曜日の午前中のこと。
実は、前日、葉山に住む日本テクトホールディングスの増岡社長が、三浦半島で、もうひとつの顔の漁師となり、一本釣りで仕留めたブリである。
いつも、増岡社長のFacebookで、マグロとかタイを釣って得意気な姿を見て、自分が「どや顔をしとる!」とか、「お裾分は?」とか言っているので、本当に一匹送ってきたのである。
ブリは出世魚と呼ばれ、ワカシ→イナダ→ワラサ→ブリとなるそうである。
正確に言うと、これはワラサとブリの間とのこと。
しかし、どう捌いたら良いのか?
増岡社長へ電話をして聞く。
「サメもいたし、血抜きしないで送ったので、気を付けて捌いて!」とのこと。
自宅裏の行きつけの寿司屋さんに、捌いてもらったら、こんなにも綺麗な刺身になったのである。
切り身にもしてもらう。
ひとくち食べたら、美味すぎて、増岡社長の手間に感謝をした。
こういうことのできる人である。
さて、場所は変わり、ダイバーシティメディアの役員ミーティングルーム。
自分の自宅から届いたブリの刺身を、各局長以上のメンバーと、秘書広報室のメンバーと、先日、増岡社長のミッションで協力した鈴木淳予アナウンサーで、ごちそうになった。
和康局長のこの満面の笑顔!
鈴木淳予アナウンサーの、食レポ顔!
吉田局長は、酒が欲しいと言っていたそう!
渡辺局長は、「これは三浦半島で釣れたもので…」と、解説をしていたそうである。
奥出常務は、ただ、ただ、増岡社長へ感謝していた。
しかし、釣りにでる前日の夜は、遅くまで、自分といたはず。
相変わらず、寝るのを惜しんで、仕事でも釣りでもゴルフでもする人である。
彼ほど、人生を楽しめる人は少ない。
今回は、とても幸せな気持ちにさせてもらった。
いつの日か、逆サプライズをお返しします。