Quantcast
Channel: 約束の地へ…Love&Peace
Viewing all 4774 articles
Browse latest View live

オレンジ&パートナーズの軽部副社長と、9年ぶりの再会☆

$
0
0

7月29日(月)、放送作家の小山薫堂さんが主宰するオレンジ・アンド・パートナーズの副社長である軽部政治さんが、ダイバーシティメディアに来社され、9年ぶりの再会となった。


会った瞬間、様々な思いが込み上げ、かなり感動し抱き合った!


懐かしさと共に、様々なことに共に取り組んだ日々が、走馬灯のように思い出されたのだ。


前回お会いしたのが2015年の2月で、昨年閉館したホテルキャスルの桜果林にてフグ料理を食べた。


それ以来の再会に、たっぷり時間をかけて、この9年間のそれぞれの報告や、様々な出来事の認識を合わせを行ったのである。




以前は、1年に何度もお会いし、様々なことを話し合い、連携をとって進めていた感がある。


軽部さんとの出会いは、約20数年前、サイバーブレッドの副社長として、当時のケーブルテレビ山形に来られ、新たな広告事業の展開についてプレゼンを受けたのが最初である。


ライブドア関係のブロードバンドピクチャーズやレッドライスメディウムなどと共に、当時のベンチャー産業の先頭を走っていた。


当時はまだ知られていない、「インフルエンサーによるストーリーの演出」や「クチコミによる話題づくり」のプレゼンを聞き、鉄板であると思っていた電通や博報堂の広告システムやスキーム以外のあり方が、「今の時代に存在し、通用するんだ!」と、正直、目から鱗だったのである。


その後、軽部さんは、放送作家の小山薫堂さんと、オレンジ・アンド・パートナーズを立ち上げた。


軽部さんは、2005年の第1回の山形国際ムービーフェスティバルYMFの立ち上げからご一緒し、薫堂さんは、第2回目の選考委員に名を連ね、若手クリエイターの審査に参加していただいた。


薫堂さんは、YMF映画祭の選考委員、東北芸術工科大学の企画構想学科の教授、映画「おくりびと」の原作と脚本と、当時は3つのご縁が山形にはあったと語られている。


さらに、薫堂さん軽部さんのオレンジの立ち上げ、そして、自分の長男・吉村和康のオレンジ初の新採としての入社など、更なるご縁が重なって行った。


軽部さんと和康は、今度、オレンジのOB会をやろうと盛り上がっていた。


その後のオレンジは、京都の老舗・下鴨茶寮の経営や、来年の万国博覧会のオレンジ・パビリオンの運営などにも参加し、話題は絶えないのだ。


今回、オレンジが、インクルーシブ社の傘下になったとのニュースは聞いたが、詳細が分からなかったので、じっくりお話をお聞きした。


20年前から、軽部さんの「人生の達成目標」を聞いていたので、彼が「ひと段落着いてホッとしている」と語る顔は、とても融和なとても良い顔をしていたと思ったのである。




この日、ディナーで伺ったのが、イタリアンレストランの「ボーノ」


七日町にあった頃、小山さんと軽部さんがよく食べに行ったことを知っていたので、この日、新しくなった「ボーノ」にお連れした。


佐々木シェフも古林さんも、とても喜んでおられた。


軽部さんも、海外に行っていた薫堂さんに、写真を送っていた。



旅を続ける人々は

いつか故郷に出会う日を

たとえ今夜は倒れても

きっと信じてドアを出る


めぐるめぐるよ時代は巡る

別れと出会いを繰り返し

今日は倒れた旅人たちも

生まれ変わって歩き出すよ


山形にお母さんの実家がある、中島みゆきさんの名曲「時代」の1フレーズ。


この夜を物語っていたような気がしたのである。


自分にとっては、熱く未来を開拓しようとしていた20年前、多くの方々と一緒に物語をスタートしたことを再認識できた夜であった。


結城貴史初監督作品「DitO」…ムービーオンで舞台挨拶!

$
0
0

8月3日(土)、ムービーオンにて、結城貴史初監督並びに主演映画「DitO」の、舞台挨拶付き上映会を開催した。


俳優の結城貴史くんと出会ったのは約15年前。


山形国際ムービーフェスティバルのオープニングムービーに出演する為に、山形入りしてくれたのが最初の出会いであった。


犬のコーギーを身を挺して交通事故から守り、リコリスの花言葉を残して天国に旅立つ菜葉菜の恋人役を演じてくれた。


その後、山形国際ムービーフェスティバルYMFのアンバサダーに就任する。




毎年、山形国際ムービーフェスティバルYMFのメイン会場となるムービーオンやまがたの大スクリーンを備えたシアター1にて、今回の舞台挨拶付き上映会は行われた。


毎年、皆勤賞の様に山形の地に戻ってくる結城貴史くん。


山形県の高畠町に結城家の本家があることもあり、まるで故郷に帰ってくるようにYMFに参加してくれるのだ。


結城くんからフィリピンで映画を撮りたいと相談を受けたのは、7、8年前だったと思う。


俳優業以外にも、映像の仕事をやっていたのは知っていたが、インディーズではなく、商業映画の監督デビューとのことで、資金を集めるなら企画書や収支計画なども作るべきだとアドバイスをしたのを覚えている。


結城監督は、夢を実現する為に、まさに「命懸け」で、心身を削りながら、この映画を作り上げたのである。


特に新型コロナウイルス感染症の世界的なパンデミックで、撮影に入ろうとしていたフィリピンを後にした時は、「すべてが終わった」と天を仰いだのである。


しかし、彼は、再始動したのだ。


スタッフは、山形国際ムービーフェスティバルのグランプリ監督の倉田健次氏が脚本を担当し、準グランプリ監督の池田圭氏が撮影を受け持つ。


そんな、才能ある若きクリエーター達の熱量が、結城監督の脇を固め、この映画を完成に導いたと思っている。


自分も手塚高弘氏と共に、エグゼクティブプロデューサーとして参加したのである。





この日は、娘役の女優の田辺桃子さんと一緒に舞台挨拶を行った結城監督。


監督の映画にかけた熱き想いと、田辺桃子さんの利発で賢い語りが、会場の感動を誘った。


特に、印象に残ったのが、ラストシーンについてのトーク。


「ただいま」「おかえり」のやり取りの中にある意味は、田辺桃子さんの女優としての資質を感じ、これからが楽しみな方であると確信したのだ。




「DitO」とは、自分の居場所。


それを、ずっと探し求める親と娘の物語である。


正直、初監督作品で、こんなにも物語に引き込まれ、感動的な体験をするとは思っていなかった。

昨年、この映画を初めて観た時、結城くんの監督としての可能性を感じたのである。




田辺桃子さんも、結城監督から、山形のことやYMF映画祭のことををずっと聞いていたようで、とても明るく聡明であった。


ずっと応援していきたい女優さんである。




この映画には、あの世界チャンピオンのレジェンドのパッキャオが登場する。


彼が、何を語るのか、是非、聴いてほしい。


そんな関係もあって、格闘技に力を入れているU-NEXTの皆さんからも、この「DitO」を応援していただいている。


ありがたい限りだ。




そしてこの日は、仲間内の打ち上げである。


東京より、平野社長も駆けつけてくれた。


結城貴史監督の物語は、今、始まったばかりである。

これから、どんな監督になっていくのか、楽しみでしかない。




結城貴史主演、そして初監督の映画「DitO」


是非,映画館でご覧いただきたい。


ムービーオンで、絶賛、上映中!

山形一中第28回卒業学年同窓会が山形新聞に掲載される!

$
0
0

8月6日(火)の山形新聞朝刊「同窓会コーナー」に、自分たちの学年である「山形市立第一中学校第28回卒業学年同窓会」の写真を、載せていただいた。


人気コーナーで、応募からは数ヶ月が経ったが、参加できなかった方にも見てもらいたいとの思いがあり申し込んだのである。




2、3週間前には、山形南高校の学年同窓会(鉄人会)の写真も掲載されていたので、そろそろかなぁ…と思っていたのだ。


山形市立第一中学校の第28回卒業学年の同窓会は、今年の4月27日(土)に、山形グランドホテルにて開催した。


2019年には、約100人が集まり、恩師もご招待して還暦同窓会を開催したのであるが、その後のコロナ禍の中で、仲間たちが何人かが天国に旅だったのである。




やはり、会える時に会いたい人に会っておきたい…と、前回の開催からまだ5年しか経っていないが、今回、幹事会で開催を決めたのである。


この日、前回の半分の約50人の同窓生が集まってくれたのである。


そして、これからは、毎年、同じ時期に集まることを、全員で決めた。


数名しか集まらなくても、同じ時期に一中の仲間たちが「そこに居て」、そして「いつでも顔を出せる」ことが大切だと思う。


生存確認ではないが、残りの人生を、同い年の仲間たちと、寄り添いながら歩んで行きたい…、65歳を目の前にして、そう思うのであった。



お盆の入りの8月13日は、恒例のお墓参りと本家へのお参り。

$
0
0

8月13日(日)は、お盆の入りの日。


毎年同様、午前中に菩提寺の長源寺へ、弟家族と一緒にお参りに伺う。




母が昨年から入院・特養施設に入居したこと、自分の次男が東京でお笑い芸人として活動していること、弟の長男が医大で勉学に励んでいること等、いつもと違い3名が不在である。


これまでも、全員が揃うことは稀で、不在者の分もしっかりお参りをする。


また、昨年の5月5日に、長源寺の葦原正憲ご住職が遷化され、菩提寺もご子息の憲義ご住職が引き継がれている。


自分が30歳の頃、父を乗せて長源寺の葦原ご住職を訪れ、父と葦原さんが熱く未来を語る姿を横で見ていた。


毎年、そんな光景を目にしたが、自分はとても心地良く、二人は気が合うなぁと思っていた。


その父が亡くなって、今年で21年が過ぎる。


目を瞑れば、二人の会話が今でも蘇るのだ。




隔世の感がある。


いつの間にか、父も母もここにはおらず、自分が最年長になってしまった。


何をするにも「家族が揃って」という、父と母が残した教えを、できるだけ継承していきたいと思う。




その後、これも毎年恒例の、山形グランドホテルで涼みながらランチを食べるのだ。


今は、フランス料理のバイキングランチ。


子どもたちは大喜びで、何度も好きな食べ物を取りに行っていた。


午後から、同じメンバーで本家へお参りに行く。





それらのお盆の行事をすべて終わし、自分の家へ場所を移し、子どもたちは水遊びや将棋などで元気に遊んでいた。


しかし、親たちの方が、実は水遊びにハマり、大騒ぎをしていたのである。


ここ数年では、最も賑やかで、とても疲れた一日となったのである。

今年の「八八の会」では、皆で黒田猛さんを偲びました。

$
0
0

8月8日(木)、寿司源で開催された今年の「八八の会」


もともと「八八の会」は、第八小学校の創立50周年時の佐藤恵司校長と、PTA会長だった自分の代のPTAメンバーでスタートした。


50周年事業の打ち上げの席で、「八八の会」の設立が決まったのだ。


当初から、1学年上の山口四郎PTA会長もお誘いして始まった。


2012年には、佐藤恵司校長が高齢の為に、この会を引退される。


そして、その翌年から、自分らの上の代の、逸見良昭会長と黒田猛会長のお二人も誘って「八八の会」を続けてきた。


毎年8月8日に開催し、今年で21年目になる。




今年の「八八の会」には、自分の上の代のPTA会長の3名が来られなかった。


逸見会長と山口会長は、所要の為やむなく欠席とのことだったが、黒田会長は昨年秋にご逝去されたのであった。




昨年コロナ禍が明けて、4年ぶりに開催した「八八の会」


出席予定であった黒田さんは、その日突然の欠席とのことであった。


急病か?

急な検査か?

…とのことであったと思う。




(2018年の8月8日、フルメンバーが揃った写真)


第八小学校のPTAも、東北電力の組合の執行委員長の仕事も、誠実で真面目に、そして一緒懸命に務められていた印象が強い。


一方で、筋や義理を重んじていた人でもあった。

PTAでは、常に、先生方や子どもたちの盾になっていた。




今年の「八八の会」では、恒例の近況報告に加えて、皆が黒田猛さんを偲び、追悼の言葉を述べた。


まだ60代であった。

早すぎると思う。

まだまだ、いろんなことを話したかったが、残念無念である。


同じ時代、一番近くにいた池野さんは、ずっと泣いていた。


自分との出会いは、子どもさんが行方不明になり、夜中まで探し続けた時のこと。

探すのを諦めなかった自分を、当時の黒田副会長はとても褒めてくれた。


小さな事でも、周囲をしっかり見てくださる方であると思ったのを記憶している。


あの時の思い出は永遠である。

今年の「八八の会」までは、病気を治して参加すると言っていたそうである。


この日、黒田さんと会うことは叶わなかったが、その場で一緒に笑っていたに違いない。



黒田猛さんの御霊に哀悼の誠を捧げ、心よりご冥福をお祈りいたします。

妻の実家のお墓参りと、お餅3種と芋煮を食べる!

$
0
0

8月14日は、毎年、妻の先祖のお墓をお参りし、その後、実家の山二醤油醸造にて、皆で食事をする。


妻の実兄は、「本味」「幻の醤油」や「花笠みそ」の山二醤油の3代目で、さらには大曽根餅つき保存会を率いる新関徳次郎氏である。


商工会議所青年部会長や、山形県PTA連合会長などを歴任し、現在は子育て支援の「ほほえみ食堂」を主宰している。


義理の姉である新関里美さんは、「さとみの漬物講座」や「味噌づくり教室」などを通して、山形の郷土料理や食材を、広く県内外に広めている。


今回のお盆は帰省しなかったが、妻の実妹の作間洋子も、銀座で蕎麦処「山形田」を経営している。


やはり、食に関わってきた歴史と文化の中で育ったからであろう。




山形の名物「ダシ」は、山形県の村山地方の郷土料理であり、夏野菜と香味野菜を細かくきざみ、醤油などで和えたものである。

ご飯や豆腐、あるいは餅にかけて食べるのである。

義兄がついた美味しい餅に、里見さんが作ったダシをかけ、嬉しい昼食となった。



この日の昼食には、3種類のお餅が出た。


「ダシ餅」「きなこ餅」「納豆」である。



さらに、特製の芋煮をいただく。

芋煮に麩(ふ)が入っていて、味が染みていて美味しい。


いつも思うのだが、お二人の料理や食材は、すべてが売れ筋の人気商品であり、どれをいただいても美味しく、「田舎料理の店」として開業しても良いくらいのクォリティーがある。


それも、醤油や味噌から、餅や米やおこあ、漬物から田舎料理まで、すべて自家製のオリジナルばかりであるから素晴らしいのだ。




妻の実家の新関家の菩提寺は、若木の広福寺。


小さな山一つに、寺院が建ち墓地が在る。


お墓まで行くのがひと苦労。
若い頃は、すいすい登っていけたが、今ではふうふう言いながら登っていく。

この日は雨も降り地面も抜かり、滑ってなかなか登るのも大変だったが、何とかお墓まで行けた。

皆でお墓に手を合わせる。

毎年のことであるが、この時期は多くの人でお寺は賑わう。

改めて、お盆の意義を感じた夏であった。

40年ぶりの再会!〜ゼンセン同盟の照井光文初代支部長。

$
0
0

8月10日(土)、ちょうど40年前に、父と一緒に初めて照井光文さんとお会いした。


当時の照井さんは、ゼンセン同盟の山形支部を立ち上げ初代支部長に就任した方であり、当時の労働界では若きカリスマ的存在であった。


秋田県のご出身だが、愛知県で組合活動をスタートされたこともあり、その愛知訛りが、尚更カリスマ性を増幅していた。




当時、父は53歳、照井さんは43歳、自分は24歳であったと記憶している。


場所はホテルキャッスル。


山形市長選挙に出馬しようとしていた父が、各政党や各団体・組織の方々へ、様々なルートで支援要請を行っており、自分は父の秘書役として同席することが多かった。


そんな中で、とても印象的だったのが、照井さんとの出会いであった。




当時の政治の潮流は55年体制であり、自由民主党(保守)と社会党(革新)がハッキリ別れており、そこに中道と呼ばれる民社党が存在していた。


山形の政治勢力は、共産党・社会党を支援母体とする金澤忠雄氏が、7期28年間にわたり山形市長に就任した。


その6期目に自由民主党の公認候補として立候補したのが、自分の父であった吉村和夫であった。


当時は、山形市長を保守系に戻そうと、山形の経済界を中心に、必死に戦ったのだ。


結果的には、父は山形市長選挙に3回敗れ、4回目で当選したのである。


その道を進む中で、自分としては初めて知った組合という組織、そしてリーダーである専従組合員の方々。


まだ、連合に労働組合が統一される前の時代である。


知らなかった世界の方々との会話は、随行の自分としては驚きの連続であり、怖ささえ感じたのを覚えている。


まったく知らないから、不安で怖い。

ましてや、社会人経験も数年であり、労使関係も大学の授業の科目でしか知らなかった。


父と照井さんの間を取り持ってくださったのが、油川氏である。


今でもお世話になっている油川先生であるが、当時から、その人脈は途方もなく、多くの方々と父を出会わせていただいたのである。





40年ぶりの再会ということもあって、照井さんは亡き父の30年前の直筆のハガキを持ってきてくださった。


今も大切に保管していただいているとのことで、とてもありがたく、照井さんのお人柄が再認識できた。


当時、父は照井さんを「竹中半兵衛の様な人だ!」とよく話していた。


知略に富み、戦術戦略家である。

一方で、情に厚く、誠実な方である。




この日は山形市七日町の御殿堰の庄司屋さんで、そばを食べながら懐かしい話をする。


一方で、現在の政治や経済について、そしてダイバーシティメディアなどの話もさせていただく。


人生64年の中で、瞬きするくらいの瞬間の出来事であったが、不思議とあの関係性にワープしていく。


そこに真実と情熱を刻めた瞬間は、きっと永遠なのかもしれない。


そんな不思議な確信を持ち、再会を約束して別れたのである。


この光景を、父が天国から見ていたら、どんなことを思うであろうか…。


自分としては、40年前に聞きたかったことも今回教えていただき、様々なことを消化できた。


懐かしくもあり、亡き父の代役ができたと思えた時間でもあった。


油川先生、ありがとうございました。

塩竈市の佐藤光樹市長が、お盆のお参りに来宅くださる。

$
0
0

8月15日(木)、塩竈市の佐藤光樹社長が来宅され、父の仏壇に手を合わせて下さる。


山形県議会議員の弟の和武とは、光樹市長も宮城県議会議員の時代から、20年にわたるお付き合いで、とても仲がよく、お互いが行き来しているのだ。


母の実家が、宮城県牡鹿郡女川町出島であり、石巻女子校卒の為、宮城県とのご縁はとても多い。




自分が佐藤光樹市長と親しくさせていただいたのは、2011年の東日本大震災の時である。


当時、県議会議員であった彼は、被災地であった塩竈市の漁業や市場の皆さんの為に、必死になって各方面に塩竈の海産物をPRされていた。


その一環で、ケーブルテレビ山形や東北ケーブルテレビネットワークへ協力依頼に来られたのである。


非常事態や緊急時に、いち早く対応される姿は、いずれ塩竈市のトップとして率いて行く方であると確信したのである。


その後も、事あるごとに顔を出してくださり、塩竈市の復興の為に活動されていた。


山形国際ムービーフェスティバル(YMF)にも、県議時代は宮城県の議員仲間たちと参加されていた。


佐藤光樹市長は、スポーツ界、芸能界の皆さんともその和を広げて、今では全国の多くの方々が彼を注目している。


これからは、自然災害、異常気象など、これまでの予測を超える出来事が起こるかもしれない。


それだけに、益々のご活躍とご健勝を、心から祈念いたしたい。



8月13日はお盆の入り、皆が揃って恒例のお墓参り。

$
0
0

8月13日(日)は、お盆の入りの日。


毎年同様、午前中に菩提寺の長源寺へ、弟家族と一緒にお参りに伺う。




母が昨年から入院・特養施設に入居したこと、自分の次男が東京でお笑い芸人として活動していること、弟の長男が医大で勉学に励んでいること等、いつもと違い3名が不在である。


これまでも、全員が揃うことは稀で、不在者の分もしっかりお参りをする。


また、昨年の5月5日に、長源寺の葦原正憲ご住職が遷化され、菩提寺もご子息の憲義ご住職が引き継がれている。


自分が30歳の頃、父を乗せて長源寺の葦原ご住職を訪れ、父と葦原さんが熱く未来を語る姿を横で見ていた。


毎年、そんな光景を目にしたが、自分はとても心地良く、二人は気が合うなぁと思っていた。


その父が亡くなって、今年で21年が過ぎる。


目を瞑れば、二人の会話が今でも蘇るのだ。




隔世の感がある。


いつの間にか、父も母もここにはおらず、自分が最年長になってしまった。


何をするにも「家族が揃って」という、父と母が残した教えを、できるだけ継承していきたいと思う。




その後、これも毎年恒例の、山形グランドホテルで涼みながらランチを食べるのだ。


今は、フランス料理のバイキングランチ。


子どもたちは大喜びで、何度も好きな食べ物を取りに行っていた。


午後から、同じメンバーで本家へお参りに行く。





それらのお盆の行事をすべて終わし、自分の家へ場所を移し、子どもたちは水遊びや将棋などで元気に遊んでいた。


しかし、親たちの方が、実は水遊びにハマり、大騒ぎをしていたのである。


ここ数年では、最も賑やかで、とても疲れた一日となったのである。

地元の十二柳公園の盆おどり、昔と変わらぬ大切な光景です。

$
0
0

8月15日(木)、地元の小白川4区の盆おどり大会が、十二柳公園にて開催された。


雨があがりの夕焼け空の下、浴衣に着替えた子どもたちや家族連れが、続々と公園に集まり出す。




ここ数年は、コロナ禍もあり、なかなか思い切ったお祭りはできなかったが、やっと昨年あたりから、従来のカタチに戻りつつあった。




今年は、昔に戻ったような賑わいと活気があり、嬉しく楽しい盆おどりとなった。


来賓の挨拶の参議院議員の舟山康江さん、弟の吉村和武県議、市会議員の渋江朋博くんなど、皆さんがこの地区に住んでおり、地域の一員であるのだ。


斉藤淳一市議会議員も、父の秘書時代から、この地域には関係者が多く、来賓としてご挨拶をされていた。




何代にも繋がる住民の皆さんや、第八小学校や第一中学校のOBや保護者の方々、また、附属小中学校の保護者の方々など、PTA関係者も多い。


また、町内会はもとより、老人会や福祉協議会など、地区の様々な役割をになっている方々も大勢集まっていた。




山口四郎さんは、自分と一緒にPTAをやられてきて、今では町内会連合会や福祉協議会や子ども会など、地域の様々な役割を担っている。




今回の盆踊りでは、和武県議夫人や渋江市議は、準備から後片付けまで、誰よりも一生懸命に頑張っておられた。




この盆おどりを成功させる為、多くの町内会の皆さんや、地域の皆さんの協力があったことは言うまでない。


地域の方々が一つになりまとまるからこそ、素晴らしいお祭りができるのだと思う。


関係者の皆さん、ありがとうございました。
そして、ご苦労様でした。

山形県の護国神社に、平和のご献灯が飾られ灯されました。

$
0
0

山形県の護国神社では、8月1日から16日まで、平和のご献灯を飾り灯した。


自分がお参りに伺ったのは8月14日(水)で、終戦記念日の前日であった。


そして、この日の夜は、山形大花火大会で、1万発の花火が上がるのだ。




午前中から雨が降り続けていたので、晴れ間が出てきた夕方には、ほぼ人がいない状態であった。


その静寂さが、境内の雰囲気を厳粛なる空気に変えたような気がした。





今年は、終戦から79年を迎える。


護国神社では、数年前より、「平和」と「しあわせ」を願い、合わせて、戦争で亡くなった方々の慰霊をまつる「平和のご献灯」が行われていた。




翌日に予定された護国神社のお祭りの準備をしていた従兄弟の子と、偶然にも出会う。


一緒に写真を撮る。


彼は神職に身を捧げ、様々な企画を打ち出している。


益々の活躍を期待したい。




境内から見る赤い鳥居が、遠くに見える。


山形市の町の中に、これだけ広大な神社があるであろうか?


お隣のお薬師様も含めて、歴史を感じさせる場所である。




この日最後の一台となったキッチンカーから、チョコレートパフェといか焼きを購入する。


そんなことをしていたら、自分の中学時代の先輩が、愛犬ハリーと共に声をかけてくださった。


自分もレアを連れていたので、2匹を逢わせた。


ビビりのレアは逃げ腰であったが、5歳年上のハリーは微動だにしなかった。


そんな出会いもまた、神様のお導きなのであろう。



いよいよ、来年は戦後80年の節目の年。

そんな事を考える機会もいただいた、意味ある一日であった。


8月、ワイヴァンズがいよいよ始動〜仙台戦は指定席が完売!

$
0
0

この夏、いよいよ新たなシーズンに向けて、山形ワイヴァンズが始動する。


日本人選手が7月末までに合流し、8月6日には恒例の花笠まつりへ参加。

練習は昨年以上のハードワーク。

8月11日、12日は、ワイヴァンズSPイベント開催。

中旬以降に、4人の外国籍選手が合流。

8月21日(水)は、入団記者会見。

そして、8月31日は南陽市にて仙台89ERSとのプレシーズンマッチが行われる。

9月7日は山辺町バスケットボールフェスティバルで、新潟アルビレックスBBを迎える。




今回の花笠まつりは、雨の心配もあったが、無事開催でき、8月6日(火)には新生ワイヴァンズがまとまって参加した。




選手たち、チームスタッフに加え、ワイヴァンズチアリーダーやアカデミーのメンバーも参加した。


沿道からの声に、皆が嬉しそうに答えていた。




8月11日と12日の連休に、イオンモール天童の専門街1階のグリーンコートで開催された山形ワイヴァンズのスペシャルイベント!


多くの皆さんからご来場賜り、会場はとても盛り上がる。


初日は、村上慎也、俊野達彦、佐藤巧の3選手がステージに立つ。


俊野選手も巧選手は、初めてとなるワイヴァンズブースターへの挨拶であった。




2日目は、白戸大聖、阿部龍星、中島良史の3選手が登壇。


佐藤俊介アナウンサーと、楽しいトークを繰り広げる。


2シーズンぶりの復帰となる中島選手の、過去のグッズを持参して、声をかけてくれたブースターもいたのである。




この日は、これまで以上の多くの方々から参加していただき、その後行われた選手たちのサイン会も大盛況であった。




今回の新企画として、山梨、蘭の両トレーナーによる施術体験会も行われた。




相変わらずの大人気は、ワイヴァンズチアリーダーの皆さん。


この日は、アカデミーのメンバーも含めてパフォーマンスを繰り広げてくれたのだ。




そしてその数日後、Jimmyことジェームズ・ベルと、ローズことルーズベルト・アダムスが来日し山形入りしたのである。


残りの外国籍2選手である、TJことティモシー・ホリフィールドと、レオナルド・デメトリオは、今月中に合流予定である。




そして、今年のプレシーズンマッチは、南陽市において、B1仙台89ERS戦である。


既に、1階指定席は全席ソールドアウト。

1階と2階の自由席はまだ少しの余裕はあるとのこと。


是非、お早めにお求めいただきたい。




また、9月7日(土)は、山辺町バスケットフェスティバルが開催され、新潟アルビレックスBBを迎える。


少しずつ、10月の開幕に向け、準備してが整ってきている。


昨年以上の応援を、よろしくお願い申し上げる。


石川裕一ヘッドコーチの今シーズンにかける意気込み・チーム戦略など、是非、8月21日の記者会見を注目いただきたい。

今年も北秋田の名産「阿仁川の鮎」をいただきました☆

$
0
0

Bリーグ創設当時からいろいろアドバイスをいただき、大河チェアマンから島田チェアマンと、それぞれのリーダーの下で、その実力をいかんなく発揮している櫻井うららさん。


山形県のお隣の秋田県出身ということもあり、日頃からお世話になっている方である。




この一年間はお会いできずにいたが、本日、秋田県北部の阿仁川の鮎を送っていただいた。


阿仁川鮎センターでは、日本一北の養殖地阿仁川の冷たい水で、長時間かけて日本一美味しい鮎を育てているとのこと。




早速、生の鮎を、自分の自宅で妻から焼いてもらい、パスラボのフロント関係者で食べた。


この時期の鮎は身がしっかりしていて、とても美味しくいただいたのである。





ダイバーシティメディアの奥出さんや秘書室のメンバーにもお裾分け。


櫻井うららさんには、心より御礼を申し上げたい。


新たなBリーグ改革のタイミングが迫っている中、超忙しいとは思うが、是非、山形にも来ていただきたいと思うのである。


LOVE&PEACE基金にご協力いただき、御礼申し上げます☆

$
0
0

今年の1月1日の元旦に、石川県能登地方を震源とする能登半島地震が発生した。


最大震度7。


死者は約250人、全壊家屋は8500棟を超えた。


ダイバーシティメディアの市民チャンネルでは、発生直後より、LOVE&PEACE基金にて義援金の受付を開始した。




7月末で、ダイバーシティメディアの市民チャンネルでの放送は終了し、LOVE&PEACE基金の受付も終了する。


義援金をご支援いただいた企業及び個人の皆さんには、心より御礼申し上げる。


8月7日(水)、ダイバーシティメディアの斎藤隆吉常務は、日本赤十字社の山形県支部を訪れ、奥山賢事務局長へ義援金を渡す。




以前、ケーブルテレビ山形時代の市民チャンネルの人気番組「LOVE&PEACE HOUSE」


その番組の中で、「LOVE&PEACE基金」を設立し、災害などにあった被災地へ義援金を募りお渡ししてきた。


特に、自分たちの住む東北地方は、東日本大震災があったこともあり、その痛みが分かるだけに、他地域での災害も、自分のことのように捉え「何とかしたい」という感情に囚われる。


感染症の発生や、異常気象や自然災害…。

これからは、もっともっと多く発生する可能性がある。


だからこそ、少しでも、補える人や地域が、困っている人たちを支援する…そんなマインドを、高めたいと思うのであった。


現在、LOVE&PEACE基金では、山形県の豪雨災害の義援金を募集している。


是非、そちらにもご協力いただければ幸いである。


父の21回目の祥月命日の法要…長源寺葦原住職を迎えて。

$
0
0

8月20日は、父である吉村和夫の21回目の祥月命日である。


あの日から、あっという間に時が過ぎた気がする。


母は、今では特養施設に入居し、葬儀委員長を務めた鹿野道彦元農林水産大臣も、2021年秋に鬼籍に入られた。


友人代表の弔辞を読まれた千歳貞治郎さん、橋本栄一さんも旅立たれ、父の兄の吉村敏夫も96歳で天寿を全うした。




昨年の5月5日には菩提寺の葦原正憲大和尚が遷化された。


年々歳々、花相似たり

歳々年々、人同じからず


時の流れるのは早い。


21年前とは、まるで登場人物が異なってしまっている。


今日は、長源寺の後を継ぐ、ご子息の葦原義憲住職が来宅され、先祖を供養し亡き父の位牌にお経を上げてくださった。




その読経の声は、とても深く響き、自分の思いを21年前に連れて行ってくれた。


当時、自分は43歳で、弟の和武は30歳。


父は、弟の長男の好誠が生まれる数週間前に旅立ったので、その顔をみていない。

その子は医学部へ入り、今、医師への道を歩き出している。


自分の長男の和康は、当時は山形南高校応援団の団長であった。

父が山形南高校の初代応援団長だったこともあり、現役応援団全員が駆けつけて父へエールを送ってくれた。


父が亡くなり、葬儀までの母は、いつも以上に気丈であったのを覚えている。

その母も、今はここにいない。


母の代わりに、妻が法要の段取りを仕切ってくれている。




今日の法要に参加したのは、自分の妻と長男と長女と愛犬レア。

弟が県議会の為、弟の妻と、その長女と次男。


葦原住職の先導で、皆で手を合わせる。




昨日は、父が山形市長時代の秘書課の皆さんがお参りに来てくださった。

本日は、父の秘書を長年務めた斉藤淳一市議会議員が、奥さんと一緒に大きな花を持って来てくださった。

自分の秘書の後藤君も、先程、お参りしてくれていた。


多くの方々が旅立たれても、変わらぬ人々がいることも事実である。


葦原義憲住職が、父の戒名を先代葦原住職から賜る時の事を話そうとしていた。

偶然にもその光景が、自分の頭にもよぎり、自分も話そうとした矢先であった。


二人の頭に、同じ光景が映し出されたのである。

不思議である。




(生前の父 吉村和夫)


金剛院殿廓然利道大居士


父の戒名である。


廓然とは、真っ青な澄み切った雲一つない空、曹洞宗では悟りの空である。


利道とは、人の為に尽くした人生である。


金剛院は、最高の菩薩である。


そんな素晴らしい戒名を、父は先代の葦原住職から賜ったのだ。


先代の葦原住職の喜ぶ姿が、忘れられない。

それを、義憲住職と話したのであった。


天界にいる父と葦原さんが、このことを上から覗いていてくれたら、とても喜んでくれるはずである。


B2リーグ2024-25シーズン・山形ワイヴァンズ新体制発表。

$
0
0

8月21日(水)、パスラボ山形ワイヴァンズは、山形グランドホテルにて、B2リーグ2024-25シーズンの新体制発表の記者会見を行った。




昨シーズンは、山形ワイヴァンズとしては初となる、プレーオフ進出からセミファイナル出場を果たした。


スポンサーやブースターの皆さん、山形県民の皆さんから、とても喜んでいただいたシーズンとなったのである。




昨シーズンに引き続き、今シーズンも石川裕一HCに指揮をとってもらうことを決め、GMやGM代行と共に、この2ヶ月間チーム編成を行ってきた。


石川HCが創り上げてきたチーム文化をベースとして、さらに進化させようとのスタッフ陣の思いがある。


外国籍選手が、まだ全員揃ってはいないが、この日、B2リーグ2024-25シーズンに臨む山形ワイヴァンズの新体制を発表する。




会場には、多くのマスコミ関係の方々が集まり、今シーズンに臨む選手たちの意気込みをお聞きいただいた。


毎年、この場に立つと、いよいよという凛とした気になる。


石川HCも、昨年のスタイルをさらにブラシユアップし、チームを強くしたいと思いを述べた。




村上慎也選手や白戸大聖選手、岡島和真選手やジミーとローズの外国籍選手など、継続選手たちが今年の抱負を話す。


また、最年長になる俊野達彦選手や、2シーズンぶりに戻ってきた中島良史選手には、ベテラン選手としてのチームを引っ張っていってほしいとの思いがある。




アシスタントコーチは鳥屋尾聡氏に加えて、選手としてのルーキーシーズンをワイヴァンズで過ごした藤岡昴希氏が加わった。


アシスタントコーチ2人体制は、山形ワイヴァンズでは初めてであり、既に練習段階から成果が出ている。




続いて、新キャプテンの俊野選手から、今シーズンのユニフォームの新デザインが披露された。


合わせて、オフコートキャプテンには、昨シーズンに続いて村上選手が就任する。




また、今シーズンの公式応援ソングが発表される。


アンダーグラフによる待ちに待った「Wyvens ペネトレイト」が会場に流れる。




その後、多くの質問が石川HCや選手たちにあり、予定時間を大幅に超えてしまった。


それだけ、今シーズンのワイヴァンズへの期待が大きいと感じた。




記者会見の最後は、石川HC率いる新生ワイヴァンズの選手たちによる、ワイヴァンズポーズ!


今年のB2東地区は、B1クラスのチームが半分以上である。

昨年以上の厳しい試合の連続になるだろう。


是非、多くの方々から会場に直接来ていただき、昨年以上の応援をお願いしたい。


いよいよ、石川ワイヴァンズ、始動である。



記者会見の様子は上記をクリック。

ダイバーシティメディアの早出しニュースです。


『発掘!おもしろ東北人』と『フルサト超感謝祭』が開幕!

$
0
0

いよいよ明日の8月25日(日)、東北地区のケーブルテレビ17局の予選を勝ち抜いた『発掘!おもしろ東北人』の決勝大会が、山形市のムービーオンで開催される。




今年で10回目となるこの大会は、東日本大震災を経て、「東北に住む人達が、自らの表現や行動で、笑いや笑顔を呼びも戻し、東北を元気にしよう!」という思いを、東北ケーブルテレビネットワーク加盟17局のケーブルテレビ会社がバックアップし、スタートしたのだ。





吉本興業の南海キャンディーズや、ケンドーコバヤシ、品川庄司などの皆さんからMCを務めていただいたが、趣旨に心から賛同してくれたココリコの遠藤章造さんが、ここ数年、総合司会を行っている。





今年も、青森県代表のやざわ笑吉さん、岩手県代表の宇宙猫☆モネコさん、秋田県代表のキャミソウルブラザーズさん、宮城県代表のあがいん直さん、宮城県代表のSOTAROさん、山形県代表のオルオルボナールさん、山形県代表の熊澤伸昭さん、福島県代表のレッド・ベコーズの8組が決勝大会で究極のお笑い芸を披露する。




また、東北6県にいる住みます芸人が全員集合するのだ。


さらに、吉本興業が、全国の自治体との連携イベントの『フルサト超感謝祭』には、金山町の佐藤英司町長と、大江町の松田清隆町長が、「うた自慢まち自慢」のコーナーへ参戦する。


そして、くまだまさし、エバース、インポッシブルが登場予定。

インポッシブルは、急遽欠席のななまがりの代打であるのだ。


その他にも、ムービーオンの駐車場では、野外ステージが設置され、マルシェ祭も開催予定。

天気だけが心配である。


入場する際は、チケット購入が必要である。

まだ、若干、当日チケットが購入可能であるので、午前中にお求めいただきたい。


今年の、東北のお笑いチャンピオンは誰か?

明日、ムービーオンは、東北のお笑いの聖地となるのだ。


このイベントの様子は、東北ケーブルテレビネットワーク加盟局のコミュニティーチャンネルで放送予定。


そちらも、是非、ご覧いただきたい。

映画「ツイスターズ」〜ハリウッドの最先端のVFXを体感!

$
0
0

「ジュラシック・ワールド」の製作陣が贈るアクション・アドベンチャー超大作…映画「ツイスターズ」


ハリウッドの最先端VFXを駆使し、実際の観測データに基づいて製作されたリアルかつド迫力な映像体験が、観る者すべてを圧倒する。


この夏、異常気象が地球の各地で発生している。


最強の竜巻モンスターVS人類の結末は…。




気象学の天才ケイトは、ニューヨークで自然災害を予測し被害を防ぐ仕事に熱中していた。




学生時代の友人ハビから懸命に頼まれ、夏休みの1週間だけの約束で、竜巻を倒す為に故郷オクラホマに戻ったケイト。


そこで、竜巻チェイサーのタイラーと出会う。




猛威を振るう竜巻モンスターに、多くの犠牲者が出て、打ちひしがれる3人。




人類の英知は、この自然災害から打ち勝つことができるのか…。


ケイトを演じるのは、「ふつうの人々」「ザリガニの鳴くところ」で話題になった、デイジー・エドガー=ジョーンズ。


タイラーを演じるのは、「トップガン・マーヴェリック」のハングマン役のグレン・パウエル。


人気俳優の共演は、物語を彩り、ヒューマンストーリーが感動を誘う。


是非、映画館で、たっぷり楽しんで欲しい。

ムービーオンにて、絶賛上映中!

今シーズン初の『山形ワイヴァンズ・チームディナー』開催

$
0
0

8月21日(水)の記者会見の夜、山形ワイヴァンズは今シーズン初となるクラブ主催の勉強会並びに、ディナーミーティングを開催した。




毎年、Bリーグによるコンプライアンスについての勉強会では、リーグやクラブに課せられた社会的な責任や、アスリートや社会人としての在り方について、リーグの実行委員である宮田常務より話があった。


また、自分からは、昨季の石川HCのバスケットボールを踏襲しながら、鈴木大選手と柳川選手が抜けたベテラン枠として俊野達彦選手と中島良史選手を獲得したことに触れ、攻撃力のアップやパス力のアシストを期待していると話す。


俊野選手は3年前はB2リーグアシスト王にも輝いており、中島選手は昨シーズン3Pの成功率は36.9%と、どちらの選手もワイヴァンズの攻撃力を高めてくれるだろう。


また佐藤巧選手は、その身体能力は素晴らしく、大学時代のリバウンド王に2回輝いている。




石川HCからは、昨年は思い描いたチームの基礎はできたが、まだまだ成長していかなければならない。

「今年も、優勝を目指して頑張っていこう!」と話し、乾杯の音頭を取る。




藤岡昴希ACも、中島良史選手も、毎年、この場所でディナーミーティングを開いている為に、皆が懐かしいと話す。


なかなか、ワンテーブルでゆっくり話せる食事場所がなく、記者会見の夜に、10年近く山形グランドホテルさんからお世話になっているのだ。




メニューも、毎年、ほぼ同じで、外国籍選手もいるので、オーソドックスな洋食である。




それでも、量が足りなかったとのことで、毎回、3種類のパスタを別場所に準備していただく。




この日が初めてだとは思えないくらいの、和やかで穏やかな夕食会。


昨年のチームがとても仲がよく、お互いにリスペクトしていたことが、ワイヴァンズの文化となったと思う。


この日、選手、チームスタッフ、フロントが、コミュニケーションを取れた、とっても良い機会となったのであった。



東北1の笑いの祭典「おもしろ東北人」と「フルサト超感謝祭」

$
0
0

2024年8月25日(日)、ムービーオンやまがたにて、東北ケーブルテレビネットワーク主催の第10回「発掘!おもしろ東北人2024」決勝大会と、吉本興業主催の「フルサト超感謝祭」が開催された。


東日本大震災によって、とても悲しく苦しい思いをした東北地区にあるケーブルテレビ局が中心となり企画した「発掘!おもしろ東北人」


視聴者や市民の方々を元気にしたいという願いで始まったのである。


これまでは、日本ケーブルテレビ連盟東北支部が主催していたが、今年から東北ケーブルテレビネットワーク17局と吉本興業が主催する。




昨年から始まった、2つのイベントが合体したことにより、丸一日、東北地方の「お笑い」が集結したような、笑顔が溢れる爆発的なイベントとなったのである。




2つのイベントを通しての総合MCは、ココリコの遠藤章造さんとダイバーシティメディアの鈴木淳予アナウンサー。




7回目となるココリコ遠藤さんのMCは、相変わらずのキレキレで、会場の目を釘付けにするトークは流石であるのだ。


毎年、遠藤さんのツッコミを楽しみに来場する方も多い。


オープニングでは、MCによる審査員の紹介や、各県の予選を勝ち抜いてきた出演者との会話が繰り広げられた。




トップバッターは、青森県代表の“やざわ笑吉”さん。

ピチピチの55歳の八戸館鼻岸壁朝市のスター。

元気に会場を沸かせてくれました。




続いては、山形県代表の“オルオルボナール”

毎年、カタチを変えネタを変え、頑張ってくれた。

コントのレベルは、プロ級である。




同じく、山形代表の“熊澤伸昭”さん。

どうにかして面白い人になりたいと、毎日思っているそうで、その普通のサラリーマンのパフォーマンスは、会場の度肝を抜いた。




4組目は、岩手県代表の“宇宙猫★モネコ”さん。

審査員の加藤由美先生は、そのノリの良さを絶賛していた。




宮城県代表の中学生の“SOTARO”

天才的に「逆さ絵」を書く。

将来は、自分の絵を火星に飾るのが夢とのこと。




同じく宮城県代表の“あがいん直”

プロ級のコントを武器に、様々な場所で発信を続ける。

この日のコントのお題は「夢」




福島県代表の“レッド・ベコーズ”

口笛世界大会で優勝した鳥の鳴き声は本物。

2人のキャラクターが、俊逸であった。




最後のトリを飾ったのが、秋田県代表の“キャミソウルブラザーズ”

元気溢れるステージパフォーマンスは、会場を盛り上げ大きな笑いを誘った。




その後行われた、ムービーオン貴賓室での審査会。


今回は、多種多様な表現が揃い、参加者全てがレベルが高く、とても難しい選考となったが、グランプリと審査員特別賞は全会一致で決定した。


このイベントが生まれた原点に帰り、東北に埋もれていた「原石」の発掘に重きを置いた審査となる。




自分の他、よしもと東北エリア長の山本英夫氏、ダンススペース主宰の加藤由美先生、仙台CATVの梶本武宏社長の4人による審査である。




そして、全員が登壇しての結果発表。




遠藤章造賞には“SOTARO”が選ばれた。


彼の未来の可能性を、ココリコ遠藤さんは感じたとのこと。




審査員特別賞は、“レッド・ベコーズ”が受賞する。


まさに、原石のような方達であり、これからの活躍を期待したい。




そして、いよいよグランプリの発表!


山形県代表の“熊澤伸昭”さんが受賞した。

圧倒的な面白さを放ち、会場を大爆笑を包んだ彼のチカラは、お笑いと関係ない場所で仕事をしている普通のサラリーマンの可能性を、見せつけたのである。




最後に、各審査員による感想が述べられた。


特に今回は、東北の人材が持つチカラを感じた大会であった。




大会の最後は、各県代表の出場者、東北各県の住みます芸人、審査員、総合司会のすべての関係者が登壇してフィナーレを迎えたのである。




また、この日は昨年に引き続き、ムービーオンの駐車場にて「東北マルシェ」が開催された。


大雨の予想であったが、空は晴れ、住みます芸人の皆さんも、野外ステージでのトークショーを行った。


この日のイベントに参加した東北6県の住みます芸人は、ソラシド、北野ごぼう、ちぇす、アンダーエイジ、よこっちピーマン、天津・木村、バクコメ、けせんぬまペイ!、お野菜太郎、ゆずさん、ぺんぎんナッツの11組である。


各県の出演者をサポートしてくれたり、東北マルシェを盛り上げてくれたり、東北各県のお笑いを集結してくれたのだ。




そして、ココリコ遠藤さんには、7年間に渡り盛り上げていただき、心より感謝である。


お忙しい中、毎年、東北まで来てくださる。


これからも、ご一緒できれば幸いである。


出演者の皆さん、関係者の皆さん、そしてご来場いただいた皆さん、お疲れ様でした。

そして、ありがとうございました。


また、来年、お会いしましょう☆

Viewing all 4774 articles
Browse latest View live


<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>