年を重ねると、なかなか学生時代の友人達と飲む機会が、めっきり少くなる。
それも中学時代からの仲間達。
しかし、幸いなことに、自分達には、高校時代も大学時代も社会人になっても、集まることのできる仲間が大勢いて、それは何よりの宝だと思っている。
先日も、同じ学校になった時は一度もないが、中学1年生から数十年の付き合いである(いや、彼の祖父の時代からの繋がりである)丸勘青果市場の佐藤明彦社長宅で、みんなとしばらくぶりに再会した。
村田、横山、喜早、木村、笹原、大浦達に加え、1学年後輩の、和則と近野である。
その他もいたが、みんなで夜中まで騒いだのである。
ガンズこと和則たちは、1学年下の後輩たち…。
どれくらい、学生時代に自分のアパートに泊まり、将来の夢を語り、恋ばなしをしただろうか…。
最も大切な後輩たちの中のふたりである。
岩手県からきた笹原は、やっと落ち着いて飲めたみたいである…彼もこの冬、大変な山を越えた。
村田は中学一年生の時の同級生で、高3の時、彼は日大山形の応援団のリーダーであった。
当時は、各高校の応援団が自分達と同じ山形市立第1中学校出身や、中学時代の仲間が多かった。
そんな仲間が今も集まる。
社会的な立場も関係なく、ビジネスも関係なく、会社も背負う必要ないシーンであり、1番自由で、1番自立している自分がいる。
だから楽しい。
だから、会話は上品ではなくなるが、最後まで熱く語り合える。
後輩のガンズとヤストシは、最後まで、よく付き合ってくれた。
そんな、楽しくも、繋がりが強い仲間達…。
中学時代は、あまり近く無く話しもしなかったが、山形南高校に行ってからは、毎日一緒にいる無二の親友になったヤツがいた。
南高応援団のヤンベこと山本恭央である。
彼のトラブルがもとで、30数人で、ある高校へ出向いたこともあった。
親思いの彼は、中学時代から新聞配達をしていた。
そして、大学に行かず羽田空港の税関の調査官となった。
山形駅で、新幹線の中から制服を着て敬礼をした彼…。
ドアがしまり、走り出した電車。
それが、彼を見た最後の記憶のように感じる。
(実際は、その後の3、4年は、年に一度くらいは会っていたが、自分が就職した頃からは、全然会っていない。)
電話をかけても、年賀状も出すが、結果として長い年月、会えなかった気がする。
それが、この夜、電話が繋がったのだ。
涙が出るほど嬉しかったし、『生きていた!』という安堵感があった。
やはり、遠くにいても友なれど、会えるときには会うのが、やっぱり友情の確認…そんな気がした。
ただ、時を越えても、真の友情は続くと信じているし、何よりの生きてきた証であり、財産であると思う。
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友情は永遠なり
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