2月17日(月)、山形パナソニックの清野寿啓社長より、旧庄内藩主酒井家19代目であり荘内藩代表取締役社長の酒井忠順氏を紹介された。
群雄割拠の戦国時代や、幕末・明治維新が大好きな自分にとっては、山岡荘八や司馬遼太郎の歴史小説の中で、何度も目に焼き付いている徳川四天王の筆頭である酒井忠次の御子孫とお会いするこの日が、アポイントを決めた3週間前から、とても楽しみであったのだ。
酒井家は、私の記憶の中では、歴史の檜舞台に2度現れる。
1度目は、徳川家康の側近として、家康が子供の頃から寄り添い、江戸幕府立ち上げまで中心的な役割を果たされた。
2度目は、戊辰戦争の後、西郷隆盛との出会いによって、鶴岡の町に大きな殖産の道をつけられた。
江戸幕府側で、戊辰戦争に敗れ、新政府の明治から令和の時代まで、藩主の系譜としてリスペクトを集めて存続し続けている家系は、日本中にはほとんどないだろう。
お会いした忠順氏は、聡明で爽やか、そして笑顔が素敵な穏やか方であった。
話すも聞くも、どちらのコミュニケーションスキルも高く、銀行員時代の経験が生きていらっしゃると感じた。
凛とした心の形を成し、若いのに懐の深さを感じる将来楽しみな人材であった。
現在のビジネスの在り方、儒学・陽明学・徂徠学について、致道館や松ヶ岡開墾場一番くじの話、安岡正篤氏について、さらには山形県の四方山事情など、実に多くのカテゴリーに話が及んだ。
若き経済界のリーダーとして期待されている、山形パナソニックの清野寿啓社長との会食だった為に、話は広く深く進み、とても楽しい時間であった。
「温故知新」
歴史から次の時代に繋がる新しい種を見つける。
そんなことを、背負いながら坂道を歩む酒井忠順氏の荷物は、きっと重いだろう。
だからこそ、酒井忠順氏は、明るく広く、今の社会システムの中で、その荷物をみんなで広げ触ることができる場を探しているように感じた。
庄内藩の開藩400年となる2022年、歴代の酒井家の墓所公開の為の整備資金を、クラウドファンディングで調達されるとのこと。
また、荘内酒井歴史文化振興会の会員を募集されている。
この400年間歴史の中で、常に「不易と流行」を体現され、新しい時代を生き抜いて行く取り組みに、感嘆したのである。
酒井忠順氏へ、「これから何とお呼びすれば…酒井さん?酒井社長?19代目?それとも若?」
「それでは、若と!」
それ以来、数日であるが、「若」とお会いした時の話を何処でもするが、「若」と言う名詞が、とても素晴らしい訴求力であることに気づくのだ。
山形県庄内地区では、唯一無二のアイディンティティーを持つ存在。
それだけに、多くの人と繋がっていただき、山形県の地方創生の核になっていただきたいと思うのであった。
昨晩、「若」が書かれた山形新聞の日曜随想を、楽しく読ませていただいた。
また、冊子も読ませていただいた。
やはり、歴史には浪漫があり、心がときめくのである。