12月11日(火)、山形グランドホテルにて、山形芸妓の小菊(本名・五十嵐菊子)さんの、斎藤茂吉文化賞受賞を祝う会が開催された。
各界各層の約200人の皆さんが参加して、吉村美栄子山形県知事、佐藤孝弘山形市長、鈴木隆一経済同友会代表幹事、清野伸昭山形商工会議所会頭、野々村政昭お弟子さん代表などが、小菊さんの功績を称えた。
平井康博山形県観光協会会長が記念品を贈呈し、寒河江浩二山形新聞社長が乾杯の音頭をとられた。
ほとんどの方が等しく、「生涯現役」「人生100年時代を体現している」「伝統文化の継承者」「シミがひとつもない肌」など、小菊さんへの暖かいメッセージを贈られていた。
謝辞の代わりに、小菊さんと、お孫さんの芸妓・菊弥さんは、皆様への感謝の思いを込めて、三味線を弾かれたのである。
三味線歴、80年。
その老練な技は、少しも衰えず、素晴らしい音色を放っていた。
菊弥の唄も魅力的であり、聞くたびに声に張りと艶が増している。
始まる前に、弦の音合せを周囲の人が時間をかけてしていたが、一本だけ音合せをせずに小菊さんに三味線を渡した…。
小菊さんは、軽く三味線を弾いた途端、その音があっていない弦を一瞬にして、ピタリと合わせた。
その対応力は、94歳とは思えない鮮やかなものであった。
継続は力なり。
小菊さんは、大正13年に松山町に生まれ、山形で置屋をしていた姉に憧れ、13歳で庄内から山形に来て、この世界に飛び込んだのである。
「綺麗な着物が着られる」「三味線が弾ける」という子ども心があったとのこと。
16歳で芸妓になる。
若い頃は、引っ張りだこで、一晩で6つのお座敷を掛け持つくらいの人気を博していたという。
会場には、多くのお弟子さんもいるし、多くのお座敷のお客さんさんもいる。
だから、盛り上がらないわけがない。
小菊さんの手を引き、各テーブルを回られていたのが井上弓子さん。
菊弥さんが、ステージの準備で外された時、井上さんが、そばに添われていたのだ。
清野伸昭さんと、鈴木隆一さん。
菊弥さん曰く、「今日は回れないから」と小菊さんはおっしゃっていたとか…。
しかし、祝宴が始まったら、ほとんどの席を回られていた。
染み付いた「人をもてなす気持ち」が、ご自身を突き動かしていられたと思う。
山形舞妓の総上げは、やはり見事であった。
華やかで、とても見応えがあるのだ。
山形の伝統文化の火種が、多くの人の「繋ぐ力」で、ここまで花開いたのだと、感無量になる。
その立役者の、料亭・料理店の皆さん。
四山楼、千歳館、亀松閣の女将さん達。
山形田の鹿野さん、酒菜一の酒井くん。
香味庵の新関さん、嘯月の史人くん、あげつまのご夫妻もいらした。
(小菊さん、菊弥さんと)
自分の父の世代も、大変お世話になったと思う。80年もの間、お座敷という本音が出る場所で、戦前、戦中、戦後、現在の日本に至るまで、実に多くの男達の、死生観や生き様などを見られてきたのだと思う。
来年は、平成から新しい元号へと変わる。
大正、昭和、平成、そして新しい時代を、しっかり生き抜いて欲しいと、心からエールを送るのである。