日常の忙しさや、様々な問題や課題。
人間は、皆、性善説だと思いたいが、悪意に満ちてる言動や言葉も多い。
そんな、やるせない時、ふと車の外に目をやる。
そこには、自分たちが、この山形を、楽しい元気な街にしたい、全国のどこの地域よりも素晴らしい街にしたいとの思いから、懸命に創った「MOVIE ON」が、美しい夕日の中に浮かび上がっていた。
癒された。
こんな綺麗な夕日を見るのはしばらくぶりである。
自分がモンテディオ山形の社長になりたがっているとのこと。
ありえないし、なるつもりもないし、とんでもない話。
モンテディオ山形の森谷社長や、選手やファン、そしてスポンサー達に、失礼なことを平気で言っているのだ。
自分は、パスラボ山形ワイヴァンズの社長である。
自分は、当然モンテディオ山形も応援しているが、モンテディオ山形は、森谷社長やサッカー関係者がリーダーになるべきである。
関わった以上は、応援できることはする。
先人達の並々ならぬ努力も沢山あった。
そのモンテディオ山形を、一部の人間の都合だけで語るのは良くない。
高橋前社長が辞められた真実も、どのくらいの方々がご存知なのだろうか?
20数年前、30歳になったばかりの自分たちは、青年会議所のメンバーや商工会議所青年部の有志、中心商店街の皆さんや農協関係の後継者たちと、山形の情報化の遅れを懸念し、当時のケーブルテレビ山形を設立した。
30歳前後の方々が取締役に名を連ねた新しいタイプの会社だった。
情報化の遅れは、経済、文化、教育全てに影響すると思った。
「小さいけれど、されど尊い物語」を探し、皆さんに伝える…そんなテレビ局を目指した。
この地域を、愛して欲しい…そんな思いで何十億円も借り入れをした。
貸してくださる金融機関の方々も、素晴らしい人たちだった。
ややもすると、それまでの山形は、人の悪口を言ったり、足を引っ張る悪しき慣習があり、自分たちは、それを払拭し、地域を肯定したかったし、仲間達や若者が、自分の意見を述べることができる街、相手をリスペクトし尊重できる街を作ろうとの強い思いがあった。
ケーブルテレビ山形だけにとどまらず、後輩の宮崎合名社のご子息から、八文字屋さんと一緒に、そのバトンを引き受け、映画の街を継続しようと「MOVIE ON」を作ったのも、原点は、山形を良くしたい、元気にしたい、楽しくしたい…との思いであった。
パスラボ山形ワイヴァンズも、同様である。
以前の山形の悪いところであった、恣意的に、風聞だけで根拠もなく悪口を言ったり、人を攻撃したりするのではなく、この街を肯定でき、地域を愛せる街にできるように、これからも心がけたいものである。