「ハンコ、印鑑」は、イコール「シャチハタ」と言うくらい、全国のどの家にも1つはあるのが、シャチハタのハンコである。
そのシャチハタの工場が山形市にできる。
佐藤取締役開発担当が、工場立地を検討され、山形も含めて検討し出したのが7年前くらいからであるそうだ。
山形市に決めたのは、やはり山形の天災の少なさ。
山形市の安全性を認めていただき、とても嬉しかった。
その後、シャチハタさんとのビジネスアライアンスの話が急速に詰まっていくのは、今年になってからであった。
「シャチハタ」さんは、今シーズン、パスラボ山形ワイヴァンズのユニフォームスポンサーになることが決定している。
6月28日(水)、シャチハタの佐藤旭取締役、経営企画室長、マーケッティング部長の3人を迎え、あのワンストップイノベーションの大内社長と、渡邊健太郎氏の5人と、老舗料亭の四山楼で、懇親会をした。
シャチハタの佐藤さんの熱量は、社内外で超有名であり、すべてに情熱を持って当たる、素晴らしい方である。
この日は、シャチハタの創業からの歴史や、様々なマイルストーンを感動を持って伺った。
現在、創業から97年。
あと3年で100年企業の仲間入りだそうである。
先代の会長の懐の大きさに、若い時からどれだけ助けられたか…、コミュニケーションスキルが、バツグンに高い人だけに、まるでドラマのように話を伺う。
皆さんが日本酒大好き。
山形県産の日本酒を、楽しんでいただく。
お造りも美味しく、評判が良かった。
渡邊健太郎さんリクエストのくじら汁。
前回は味噌味で、今回はすましにして欲しいとのこと。
すっかり四山楼ファンになった、渡邊健太郎氏。
二階の大広間で、泊まっていきたい!と、言うくらいである。
天然の鮎。
とにかく、シャチハタのメンバーも、佐藤取締役の武勇伝は、あまり知らなかったそうで、みんな度肝を抜かれていた。
こんな五十代は、他のサラリーマン会社には収まらないし、ある意味スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツと、同じ様な人物である。
腹が座っていて、情熱家で、さらにコミュニケーションスキルと、クリエーティブスキルは、全国トップクラスである。
さらに、構造的な理解力と、未来予想力が素晴らしい。
シャチハタさんをご紹介いただいたのが、世界のワンストップイノベーションの大内社長と、自分の古くからの友人である、ケンケンこと渡辺健太郎氏である。
今や日本国内では、商業映画祭の1、2と言われる「YMF山形国際ムービーフェスティバル」を、14年前、自分と堀江貴文社長とが協同し始めるのだが、その時、中心的な役割をしてくれたのが、渡邊健太郎氏であったのだ。
当時のレッドライスメディウムの萩尾取締役と、両輪で頑張ってくれた。
当時は、今のシネマコンプレックスのムービーオンで映画祭をやるのではなく、山形市の中心商店街にあった「シネマ旭」で映画祭をし、山形グランドホテルでレセプションパーティーを行い、関係者は、この四山楼の大広間で芋煮会を夜中までやっていた。
だから、渡邊健太郎氏は、すでに13年前からこの老舗を知って愛着を持っていたのである。
彼は、今はワンストップイノベーションの社長室長を勤めながら、二十数社のアドバイザーや顧問をしている。
山形牛のステーキも、東京の方々(シャチハタさんは愛知県)からは大喜びされるのである。
伊藤博文が命名した明治の建物・四山楼。
老舗の庭に、夏の香りがする。
シャチハタの皆さんが、昔からのステンドグラスを背景に、記念ショット。
是非、楽しみにしていて欲しい。
不易と流行の基はひとつ。
スポーツと、ハンコがなぜ繋がるのか?
新たなビジネスモデルを展開する。
さらに、シャチハタさんと、東北ケーブルテレビネットワークのアライアンス…。
これは、もう少ししてからの話である。
急速に社会が動いている中、ワンストップイノベーションの大内社長、シャチハタの佐藤開発担当取締役、渡邊健太郎氏、そしてダイバーシティメディアグループ。
みんなの未来が明確に重なっているのだ。