4月6日(木)、T-BOLAN の森友嵐士氏が山形入りした。
2ヶ月半ぶりの山形入り。
出身は広島県と山形県と離れているが、同じ東海大学の先輩後輩で、湘南校舎で過ごした同窓生である。
だからということはないが、彼が声を取り戻し、歌い出した頃に出会ったのである。
放送作家の小山薫堂さんと、オレンジ&パートナーズの軽部副社長の紹介だった。
日光金谷ホテルで、オレンジ&パートナーズと東北芸術工科大学の合宿の時に、当時はまだジュニアと呼ばれオレンジに所属していた息子達や小山、軽部両名と自分の話題になり、嵐士氏が山形県まで会いに来てくれたのが出会いである。
何故、彼が、そこまでして、自分に会いに来てくれるのかは、当時は分からなかったが、お会いしてみて納得がいった。
会うべきして会った。
大袈裟な言い方かもしれないが、会うべき運命であったと、今では思っている。
15年間、歌いたくても、声を失って歌えなかった森友嵐士氏。
その死ぬほど辛く、悲痛な体験は、人間としての存在理由すら分からなかったと当時は話していた。
しかし、彼は復活したのだ。
その後、映画監督の行定勲監督などもトークショーや、新曲のPVを作ったり、YMF山形国際ムービーフェスティバルでのライブなど、様々なことを一緒にやった。
まさに、彼は稀代のカリスマであり、驚くような感性と奇跡のような才能を持ち合わせた人間なのである。
だから、彼の表現する源泉から、新たな物語を始めるつもりであり、そのプロジェクトが今年に入ってから動き出す。
ダイバーシティメディアでの打ち合わせの後、ディナーミーティングを行う。
MARS MUSIC の大羽代表取締役も同席してのブレストである。
森友嵐士氏と、とにかく長い付き合いの大羽代表は、とても聡明で賢い人であり、一瞬にして、自分と嵐士君の関係性を理解されていた。
山形一のフレンチの店、ムッシュサトウ。
相変わらず、美味しい!
ダイバーシティメディアから吉村和康メディア戦略局長、ムービーオンからは高橋俊行常務、YMF山形国際ムービーフェスティバルからは佐藤則子事務局長が参加する。
その後、午後10時を回り、パセオへ。
そこでは、森友嵐士氏が、比叡山延暦寺の1250年目にして、初めての親善大使になった経緯などの話になる。
そして、この夜の終わりに、4月5日(水)に亡くなった、自分の知人の為に、そして自分の悲しみの為に、彼は「マリア」を歌ってくれた。
以前、彼が山形県に来た時に、亡くなった知人の料亭で、夕食を取ったのである。
彼の歌が、自分の喪失感を、癒してくれる。
自然と涙が出て来た。
森友嵐士氏の優しさである。
いよいよ森友嵐士プロジェクトがスタート!
詳細は、まだまだ詰めなければならないが、メチャ面白くなりそうである。
いや、ぶったまげる事になりそうである!
乞うご期待!