山形県の経済界や地域活性化における最高の賞が、「山形県産業賞」である。
それを受賞するということこそ、経済人として、最も名誉なことであり、この度の山形県産業賞をご受賞された小嶋信一会長に、心からのお祝いを申し上げたい。
何故か、様々なことを、地味にご一緒してきた。
旧ケーブルテレビ山形の市民チャンネルで、福田直樹さんと小嶋信一さんのドキュメントを撮影し番組を制作したり、福田直樹さんの障害者施設を慰問する特番を作ったり、様々なことをやってきた。
今回は、パスラボ山形ワイヴァンズへご出資を賜ったのである。
2月1日(水)、パレスグランデールにて開催された小嶋信一さんの祝賀パーティーは、ピアニストの福田直樹さんとの音楽についてのトークショーから始まった。
なんとも小嶋さんらしい、型破りで、音楽大好き少年の、いつも楽しいことをする名人のパーティーらしく、とても素敵で暖かく、ワクワクするような気持ちにさせてくれた。
福田直樹さんによる、チェンバロとピアノの音と構造原理の違いの説明や、同じ曲を両方で弾いてくださり、その反響音の違いなどを体感させられた。
また、小嶋さんの娘さんによる、父親への贈る演奏も、感動的であった。
次に登壇した長谷川吉茂山形銀行頭取は、クラシックに造詣が深く、従姉妹のバイオリニストの堀米ゆず子さんのことなども話題に上がる。
そんな、まるで音楽会のような感覚の延長で、産業賞受賞祝賀会が開催された。
吉村美栄子知事(細谷副知事代読)、長谷川吉茂頭取、清野伸昭商工会議所会頭、坂部登印刷工業組合理事長から祝辞がある。
皆さんからは、小嶋信一さんが、オビサンを紙問屋としては、東北一にされ、さらには山形県内の多くの企業の再生に尽力されたことなどを、受賞理由に挙げられていた。
挨拶に立った小嶋信一さんは、これまで関わってくださった方、家族、社員、取引先、お客様、友人、知人、そして、奥様の千穂子様への感謝の言葉を述べられた。
さらに、学生時代、お父上から呼び出され、仰向けに布団に寝ているお父上と、対峙し、正座をしているまだ学生の小嶋信一さんのやり取りの話があった。
まるで、今、大ヒットしている映画「キセキ」の一場面のような話であった。
家業のオビサンを継ぐのではなく、違う仕事をしたかった信一少年。
それを見抜いていたようなお父上。
「お前は、学校を卒業したらどの道に進むのか?」
「音楽をやりたい。録音をしたい。」とはハッキリおっしゃっていなかったが、他にやりたいことがある信一少年。
「お前の名前の信一は、この家を継ぐために付けた名前で、これまでオビサンを支えてきてくださった方へ、信頼を返さなければならない。やりたいことは趣味でやりなさい!」と父上から言われたそうだ。
1時間も正座していたひざは、痺れてガタガタだったとのこと。
そんな話に、小嶋さんと親交が厚い方々は、涙をぬぐっていた。
小嶋さんは、75歳の今だからかこそ、素の本心を語ったのかもしれない。
そして、その話を、会場の隅で直立不動で聞いていた息子さんの姿にも感動した。
とても、素敵で、小嶋さんらしい、まっすぐな本音だけに、心に染みていった。
山形新聞社の寒河江社長の音頭で乾杯!
山形県の政財界の方々が、ほとんどいらっしゃる素晴らしい祝賀会であった。
久しぶりのツーショットは、丸勘北山形青果市場の井上直洋会長と、鹿野道彦元農林水産大臣である。
鹿野さんは、小嶋信一さんの付属小学校と中学校での同級生。
高橋一夫先生の、ズンチャカバンドが登場し、会場を盛り上げる。
長谷川吉茂山形銀行頭取の十八番のマイウェイも流石である。
小嶋信一さんと、福田直樹さんの出会いは、とても大きいと思った。
この日の記念品の中に、「マイ ディストーションノートー私の裏世界ー」が入っていた。
著者は小嶋信一さんである。
さらには、福田直樹さんのCDも入っており、編集録音はすべて小嶋信一さんである。
今、日本で五指に入る録音技術で、最高のCDが出来上がったと、喜んでいらした。
最後の裏表紙には、たぶん、学生時代、信一少年が夢見たミキサーや集音のプロの姿が写っていた。
小嶋さんは、家業と音楽の2つを手に入れたのである。
仕事も、素晴らしいが、何よりも、その感性と温かさが大好きな方である。
自分がケーブルテレビ山形を作る契機となった、山形デザインセンターの故加藤隆巳元校長との親交から、自分も当時は良くお話をさせていただいた。
あの頃から、小嶋さんの性格は何も変わっていない。
答えにたどり着くのが早く、真っ直ぐな人である。
益々のご活躍を祈念したい。
近々、続編として、昨年秋、自分と長男が、小嶋信一さんのスタジオに伺った時の、貴重な写真をブログにアップするので、乞うご期待である。