2004年、ファイブコインズ・シネマ事業や、YMF山形国際ムービーフェスティバルの創立に、大きな役割を担ってくれた渡辺健太郎氏。
当時、ブロードバンドピクチャーズBBPの二十代の若き社長として、ネットやソフト業界を牽引していたのである。
当時は、ライブドアの堀江社長や、ブロードバンドタワーの大和田社長から、とても可愛がられていた。
課題や問題の本質へ辿り着くのが極端に早く、解決策も導き出す。
自分で話していて、どんどん会話が次の展開に進んでいき、周囲の人のほとんどは、彼の思考が「ワープしている」ことさえ分からなかった。
そんな彼は、今、大手会社がほとんどの数十社の経営コンサルタントを請け負っている、超人気のシュミレーター&アドバイザーである。
自分達も、東北キャストやポータルサイト事業、山形ワイヴァンズのスポンサーの紹介などをお願いしているのだ。
彼は、山形の老舗料亭をこよなく愛する文化人の側面もある。
しかし、この日は、すぐ東京へ戻らなければならないとのことで、「串幸」で打ち合わせを続けながらの夕食となる。
全員が、コロナ禍の為、抗原検査を行って陰性を確認してからの食事である。
初めて食べたという山形の串揚げフライ。
牡蠣や、キクワタ白子、チーズと生ハムなどなど。
彼は、食材が素晴らしく、ても美味しいと絶賛していた。
あれから18年、成熟したケンケンと、今年も楽しく事業を進めたいと思うのである。