山本恒雄理事長が車椅子で参加され、山本学園を代表して山本絵里子副理事長が式辞を述べたのである。
100年の歴史を紡ぎ、今に至るまでを丁寧に語り、未来の目指す方向をしっかりとお話しされた山本絵里子副理事長に、心からの敬意とお祝いを申し上げたい。
自分の父と、絵里子さんの父である山本恒雄理事長は同級生であり、父が生きていれば75年の付き合いとなる。
山本絵里子副理事長とは、親子二代の付き合いであるのだ。
約15年前、映画監督の行定勲氏から携帯電話に突然連絡が入った。
「山形で映画を撮りたいとのこと。」
その映画は、女子高校生の物語であった。
ロケ場所は、四方に山が見える屋上とのこと。
スタッフみんなで3日間、昼夜兼行で探した場所は、「山本学園の円形校舎」
当時のケーブルテレビ山形も、製作委員会に入ったこともあり、自分と古賀俊輔プロデューサー、さらには行定勲監督が、山本恒雄理事長、山本絵里子副理事長にお会いし、伏してお願いをして、お貸しいただくことになったのである。
夜中は、雨のシーンもあり、山形フィルムコミッションの皆さんの協力もあり、地域住民を周りご了承を頂いたのである。
また、校舎内での撮影も、だいぶ遅くまで続いた。
山本学園の皆さんのご協力無くして、この山形発の映画「ユビサキから世界を」は生まれなかったのである。
谷村美月、北乃きい等が出演し、この映画の元となった同名の曲を作ったアンダーグラフのメンバーも参加した。
山形県の吉村美栄子知事、山形市の佐藤孝弘市長、国会議員の方々、私学連盟の九里会長などの祝辞は、どれも素晴らしいものであった。
しかし、山本絵里子副理事長の涙の式辞は、会場の皆さんの心を揺さぶったと思う。
前日に行われたファッションショーも、大成功だったとのこと。
(写真は、山本絵里子副理事長のFacebookより)
山本絵里子副理事長しかできない、大イベントだと思う。
本当に、良かったと思う。
これからの、山本学園の益々のご発展と、山本家の一層のご健勝を、心からご祈念申し上げたい。