11月27日(金)の夕方、ペペルモコのベティちゃんが電話をくれた。
昨日の11月26日(木)の深夜、チャーリー多勢・マー坊こと多勢正隆氏が、亡くなったとのこと。
近年、身体を壊していたので心配はしていたが、まさかの訃報であった。
71歳であった。
斎場には、よく小さい頃ムービーオンに一緒に連れてきていた息子さんと奥さんがおり、お悔やみを申し上げる。
ベティちゃん、テンプスの石澤くんもおり、ご挨拶をする。
多勢社長は、お洒落で粋な黒い帽子を被り、少し痩せて棺の中に眠っていた。
何度も彼のギターと彼の歌を聞き、いろんな話をした日々が、走馬灯のように駆け巡った。
そして、いつも多勢社長が歌っていた「青い目のステラ」が、頭の中でリフレインしている。
多勢社長との出会いは、約20年前。
友人から連れられて、何気なく入ったのが「ヒットパレード」だった。
山形の街の真ん中のビルの中に、こんな素敵な空間があるんだと感じた。
いろんな話を教えてくれた。
ロカベリーバンドのガリバーズのボーカルをやっていたこと。
1990年にオープンした「ヒットパレード」は、毎日お客さんで溢れていて、伝説のライブハウスだったこと。
テレビで、ヒットパレードの番組の放送していたこと。
ずっと「ケントス」のような店にしたいと願っていること。
上田正樹さんのライブや宇崎竜童さんのライブも、ヒットパレードで開催した。
その後、自分と上田正樹さんは、夜中まで語り合いたい、とても仲良くなり、当時のケーブルテレビ山形で一緒に番組を作ったり、YMFのエンディングでスペシャルライブを開催したりさせていただく。
多勢社長、ベティ中島、タツヤの3人からも、「ラブ&ピースハウス」という番組に出演いただいたこともある。
この写真は、10年前の2010年2月6日(土)、岩手ケーブルテレビジョンのメンバーと、ヒットパレードに伺った時のものである。
最後は、みんなでツイストで踊る。
この写真は2014年5月10日(土)、ヒットパレードの店を閉め、ベティちゃんのペペルモコで活動していた多勢社長。
最後は必ず、「専務、矢沢永吉のアイラブユーOK歌って!」と、演奏を始められて促されるのであった。
多勢社長は、ずっと自分を、出会った頃の「専務」と呼んでくれていた。
ジョージも来て、多勢社長とベティちゃんと、久しぶりのコラボレーション。
この時が、一緒に音楽を奏でた最後の思い出である。
2017年3月末に多勢社長が脳溢血になったと、やはりベティちゃんより電話で聞いた。
今年になってからは、がんや脳梗塞で、身体が衰弱していったそうである。
思い返せば、忘れられないシーンがある。
ステージに立つ多勢社長の、本番スタートの仕草と目線である。
そのステージングは、まさにプロであり、誇り高きミュージシャンの姿があった。
天国でも、きっと先に逝ったガリバーズの仲間たちと歌うに違いない。
地上にも届くように、おもいっきり歌って欲しい。
できれば、「青い目のステラ」を。
心より多勢社長のご冥福を、お祈り致します。
合掌。