中学生の時、ギターにハマった。
2年生の時、自分で詩を書き曲をつけた。
初めてのオリジナルは「月曜日の朝」
高校生になると、友人の高橋昌彦くんと2人で「季節風」というバンドをつくり、いくつかのコンサートやライブ、さらには文化祭に呼ばれた。
3年生の春までに、2度ほど自分たちがコンサートを主催して演奏して歌った。
弟が幼稚園、小学校とピアノを習っており、そのピアノを時々いじっていたのだ。
「C」は、ドミソ。
「F」は、ドファラ。
「G7」は、シレソ。
そんな感じで、ギターで弾いていた歌を、ピアノで弾く。
これが、とても面白かった。
ギターより幅ができて深くなり、表現が豊かになる。
高校3年生くらいの時は、好きな曲を弾き語りで歌えるようになっていた。
東京の大学から戻り、しばらくはピアノは触らなかったが、40歳に差し掛かった時、旧ケーブルテレビ山形の連続ドラマ「風の吹く街」を制作することになり、ドラマの劇中で使うオリジナル・サウンドトラックを作ったのである。
20歳の時に、東京で作った曲である。
それを、あのリリィ&ヨージさんが歌ってくださった。
その時から、またピアノを弾くようなった。
しかし、昔自宅にあった本物のピアノではなく、電子ピアノを自分用に購入したのである。
フォルダー5のヴォーカルだった仲間ありさが、シングルでアーリー(arie)として再活動を開始していた時に提供した「僕は…。」
その後、YMF山形国際ムービーフェスティバルの最初のテーマ曲となったのである。
あれから、10年。
ほとんど、ピアノの存在すら忘れていた。
還暦を迎えた今年、様々な迷いがある。
歌うとすれば、たまにカラオケくらいだった。
いつしか、ピアノは、部屋の隅の荷物を置く棚になっていた。
しかし、この夏、テレビを見ていたら、弾いてみたいという曲があったのである。
ホコリが被ったピアノを掃除して、弾けるようにしたのだ。
還暦を迎えた今年、様々な迷いがある。
何かを始めたいが、コロナ禍になり仕事も大変。
ピアノを引き出しだ時…「アレ⁈ 探し物はここにあった かも…。」と思ったのだ。
もう一度、キチンとピアノと向かい合い、あの頃のような自由自在な曲を描いてみたいと思っている。
探し物は、ひょっとしたら、すぐ側にあるのかもしれない。