8月24日の土曜日の朝、山形南高校時代の剣道部の仲間で、ケーブルテレビ山形の取締役でもある、友人の野口勝彦氏より電話があった。
父親であり、天童市の中心的な役割を担ってきた、野口直吉氏が、午前5時30分、享年88歳で永眠されたとのこと。
数分あとに、個人のすぐ下の弟、野口勲氏よりも同様の連絡があった。
電話を切ったあと、野口家との幾重にも重なるご縁に思いを馳せた。
自分の伯父と故人は、剣道の御前試合を昭和天皇の前でやった仲間である。
また、自分と勝彦氏の山形南高校時代の剣道部の当時の指導者は、まさに故人の野口直吉氏だった。
その他にも関係は沢山あるが、そんなことを考えていたら、また電話がなった。
『葬儀委員長をしてくれ!』とのこと。
親友の頼みは、断る理由が無ければ受けるのが自分の流儀。
『お前が、心からやれと言うなら引き受ける。』と、あっという間に、大役を担うことになる。
葬儀当日の8月27日の火曜日、天童市のセレモニーホールには、約500人以上の参列者が集まった。
故人の親交の多さと人柄が分かる。
午後2時からの葬儀。
実は当日、自分が招集していた東海大学山形高校の評議委員会と理事会が、同時刻より開催することになっていた。
阿部校長と、山内副理事長に事情を説明し、代役をお願いした。
葬儀が始まり直ぐに、『葬送の辞』を読み上げた。
祭壇には、野口直吉氏の剣道の防具が飾られていた。
あの風格と存在感、そしてあの笑顔が忘れられない。
喪主の挨拶の時、勝彦氏は、一言一言、噛み締めながら、涙をこらえて感謝の気持ちを伝えていた。
最後に会場に流れた故人の生前の映像…。
隣の席にいた喪主は、会場の両脇に設置されたモニターの、その映像をチラリとも見ずに、ひたすら正面の祭壇の写真を正眼していた。
が、…最後の最後に、目から涙が溢れだしたのである。
こちらまで、エレベーターの中で、つられてしまい、大の男がふたりで泣きながら話していた。
喪主や家族と一緒に、葬儀委員長は来場者の見送りをさせていただく。
野口直吉氏の御霊が、天に真っ直ぐ登り、安らげることを祈念し、勝彦氏が先代の意思を継ぎ、社業発展、地域貢献など、父親以上の存在になることを、心より願わずにはいられない。
合掌。
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巨星堕つ…野口直吉氏
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