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Channel: 約束の地へ…Love&Peace
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斎藤茂吉記念館は、地方都市の誇りとなる感動を放つ!

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11月14日(木)、斎藤茂吉翁の曾孫にあたる伊藤文子さんと、ご主人の伊藤洋介氏と一緒に、斎藤茂吉記念館に初めて伺った。



半年前から、ご案内をして頂く予定であったが、お互いの都合が合わず、秋の深まった季節の訪問となる。

斎藤茂吉翁のご長男は斎藤茂太さん、その長男が斎藤茂一さん、そのご長女が文子さんである。

旦那さんである伊藤洋介氏の父は、自分の父とは山形県立山形南高校の先輩後輩。
竹中工務店の東北支店次長で仙台在住であった為、よく山形の父の自宅へ家族で遊びに来られていた。

だから、洋介氏兄弟が小学生の頃から、親戚の様に我が家に遊びに来て、みんなで食事をしていた。

自分の弟和武と洋介兄弟は、ほぼ同じ年齢だったので、ずっと遊んでいる記憶がある。


その彼が成人し、東京の竹中工務店本社へ就職して、斎藤茂吉翁ゆかりの人と結婚すると聞き、父の代わりに母が結婚式に出席したのを覚えている。

それからしばらくして、洋介氏は地元である宮城県の竹中工務店東北支社へ転勤となる。



その後再会し、何度かお会いする度に、斎藤茂吉翁と結城哀草果がよくウナギを食べた、山形市緑町の当時は川魚専門店の「あげつま」に、一緒に行ってみようと話していたのである。

その頃の部屋は、「あげつま」の旧館に未だに残っているのだ。

ビタミンEが目に良い効果があると、茂吉翁はウナギを好んで食べたそうである。



「あげつま」の奥の院。
そこの小部屋を、斎藤茂吉翁が利用したらしい。

自分と妻と、伊藤洋介夫妻と、ウナギを食べる。



その後、自分と洋介夫妻は、上山市の斎藤茂吉記念館へ。

紅葉が見事である。



新幹線が、通っていく。
奥羽本線をまたぐ橋を渡り、斎藤茂吉記念館へ。



斎藤茂吉記念館の業務執行理事の木村義博事務局長と学芸員の方が、館内を案内して下さった。

中は快適で、資料の展示も分かりやすく素晴らしかった。



斎藤茂吉翁が、文化勲章を受賞した時の写真。
一番右が、初孫の斎藤茂一氏。



最も可愛がった、斎藤茂一氏へ当てた葉書。

初孫へ対する、茂吉翁の溢れる愛情を感じる。



赤光からの、茂吉翁の歌集が当時のまま並ぶ。



正岡子規の「写生」論を発展させ、短歌を生命の象徴として考えた、茂吉翁独自の作家姿勢と足跡が、とても分かりやすく展示されている。



記念館が在る「みゆき公園」内には、箱根の別荘を、そのまま移設し、屋根をかけた建物がある。

これも素晴らしい。

思った以上に見所が多く、半日かけて、ゆっくり見てみたいと思った。



その数日前には、伊藤洋介氏の東京の師匠と仰ぐ、松方七郎氏を紹介いただく。

七郎氏は、松方正義元総理大臣の孫で、松方幸次郎元川崎造船所社長の甥である。

七郎氏の父三郎氏は、元共同通信専務理事であり、その兄弟は幸次郎氏も含めて23人。
元十五銀行頭取、元特命全権大使、元浪速銀行頭取、元東京瓦斯電気社長、元日活社長など、皆壮々たる方々である。

アメリカ駐日大使のライシャワーも縁戚である。

そもそも、薩摩藩にルーツがある。



短時間であったが、とても魅力溢れる話をいただき、充実した貴重な時間となったのである。

松方コレクションについて、松方七郎氏が解説をしておられる。

斎藤茂一さんもそうだが、松方七郎氏、三島通文氏、西郷吉太郎氏など、皆さん慶應大学幼稚舎であったことに驚く。

いかに、茂吉翁を育てた斎藤紀一氏が、山形県から全国の中心に、茂吉翁を据え育てたのか…感動を覚えるのである。


伊藤洋介氏夫妻のお陰で、新しい文化の香りに触れることができた。

心より御礼申し上げたい。




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