1月28日(月)、米沢市の「ニューメディア」へ、社長の金子敦氏を訪ねた。
NCV・ニューメディアは、1986年設立され、今では函館センター、新潟センター、福島センターと、山形県の置賜地方と合わせ、4つの地域に根を伸ばす、東北のケーブルテレビ局の雄である。
ケーブルテレビ山形(現ダイバーシティメディア)が1992年の設立で、当時のニューメディア米沢はその6年前に設立された先輩局。
放送開始は、ケーブルテレビ山形が1994年、ニューメディア米沢が1987年で、7年先輩となる。
ニューメディア米沢が、いかにケーブル敷設工事やスタジオ設置がスムーズに行ったのかを物語っている。
当時のニューメディア米沢は、米沢市を中心とした置賜地方の自治体が、大株主であった為、全面バックアップ体制であった。
2007年に「ニューメディア」と会社名を改称される。
自分たちケーブルテレビ山形の設立準備委員会は、様々なことをニューメディアさんから教えていただいた。
当時の設計担当の原田部長や、総務担当の後藤部長には、本当にお世話になった。
改めて感謝と御礼を申し上げたい。
現在の金子敦社長のお父上は、設立当初からの社長であったが建設会社の社長が主であり、現在の会長の酒井氏が陣頭指揮を取られていた記憶がある。
金子敦社長を知ったのは、函館センター長をされ、日本ケーブルテレビ連盟の北海道支部長をされた頃である。
自分が日本ケーブルテレビ連盟東北支部長を務めた頃には、交代されていた。
酒井さんとは何度もご一緒したが、金子敦社長とじっくり話をさせていただいたのは、社長になられてから初めてである。
これからのケーブルテレビ業界について、新しいモデルの模索、他の地域との連携など、様々な話をさせていただく。
ケーブルテレビの未来を、危機感も含めて、とても真剣に捉えていらっしゃる金子社長と、様々な価値観や思考が同じであることが分かり、とても嬉しく、良い時間であった。
小松常務、伊藤センター長も同席くださった。
ずっと昔から、自分たちのケーブルテレビ業界の憧れであったニューメディアの自社ビルとロビー。
それを目標に、自分たちも自社ビルを建てたのである。
ニューメディアのロビーに入ると、おかげさまで30周年の「のぼり旗」がある。
2017年に、開局30周年を迎えたとのこと。
ケーブルテレビ山形(現ダイバーシティメディア)は、今年10月で開局25周年を迎える。
隔世の感がある。
ケーブルテレビの存在すら知らなかった山形市で、200社を回り、ケーブルテレビの必要性を説いたあの頃。
各家庭も、一軒一軒お邪魔して、ケーブルテレビの良さを伝え回ったあの頃。
それが今では、ケーブルテレビをほとんどの方が知っている。
自分の祖父、吉村萬五郎は、雪深い置賜地方の集落・玉庭を出て、山形警察署長となる。
自分のルーツは置賜にあるので、置賜の大雪は、何故か懐かしい。
光陰矢の如し。
時間は限られている。
ケーブルテレビ業界そのものが変化している今。
メディア業界も、コンテンツ業界も、インターネット業界も、新たなステージに入る。
レガシーな思考だけでは、通用しない。
その事を分かって行動しているかどうかが問われているのだ。
金子社長との出会いは、次世代の業界の行く末に希望を感じた。
東北各局で、手を結んで進んで行ければ、「地域に根ざしたメディア」として、「生活に密着したメディア」として、「次の時代の主役メディアとして持続可能に存在できる」と確信した日となったのである。