先週末の12月15日の土曜日、YMF山形国際ムービーフェスティバル以来、1ヶ月ぶりに友人の古賀俊輔氏がムービーオンに打ち合わせに来た。
宮城県仙台市での、東北の歌姫・熊谷育美ちゃんの、メジャーデビュー10周年記念ライブを聴きにいってからの山形入りだった。
当初は、ライブは遅くても午後7時30分には終わり、午後8時のバスに乗っても、山形入りは午後9時ぐらいと予想していた。
しかし、「育美パワー」は凄く、ライブが1時間以上延長したそうである。
山形行きのバスも、満員で一本遅れての便に乗せられたそうで、ムービーオンに来た時は、すでに午後10時30分を過ぎていた。
同じ1960年産まれ。
だから気が合うのか、話している内容は、ほぼ阿吽で分かるのだ。
価値観も似ている。
古賀俊輔氏は、今日本で、もっとも引っ張りだこのプロデューサー。
昨年は、「火花」「ナミヤ雑貨店の奇蹟」「ナラタージュ」など、古賀さんが代表を務めるザフールが請け負っている。
その他にも、彼は現在20本以上の企画を進めている。
第1弾の打ち合わせの後、午前0時から、予約していた「BALLAD」で、遅い夕食をとる。
オムライスやピラフ、スティックサラダやオリーブの実などを食べる。
打ち合わせ案件は、何件もあり、全て終わった頃には午前2時を回っていた。
自分は、この日、プロバスケットの「山形ワイヴァンズ VS 八王子ビートレインズ」の初戦があり、その試合が終わってから、ムービーオンのプログラムチェック会議などを経て、夜中の打ち合わせとなった為、少々疲れた。
古賀さんも、仙台の育美ちゃんのライブで、とても感動してきただけに、その後の打ち合わせはハードだったと思う。
お互い健康だけは気をつけたいものだ。
古賀俊輔さんとの出会いは、2006年の春の始めであった。
アンダーグラフの楽曲「ユビサキから世界を」を、行定勲監督が映画化することを決め、そのロケ地を山形市に置いたことで、自分と古賀俊輔氏、行定勲監督との出会いであった。
そんな12年間の付き合いは、とても濃く深いものであり、遅く出会った親友のようなものであった。
行定勲監督との繋がりも一緒であり、大人になっても、同じようにいられることが、とても素晴らしいことなのである。
写真は、先月のYMF山形国際ムービーフェスティバルの様子である。
80歳になっても、アルコールを飲めない3人組が、夜中のファミレスで、映画や健康などについて話していられたら、最高に幸せだと思うのである。