1月5日(金)、今年もホテルキャッスルにて、「一中会」が開催された。
これまで山形市立第1中学校に在職した、歴代の教職員の先生方、そして、現職の先生方、さらには歴代のPTA会長と同窓会の三役が、毎年1月の初めに集まり、近況を確認し合う。
もともとは、教職員のOB会だったらしい。
以前は、自分の中学生当時の担任の先生などもいらっしゃり、山形市立第1中学校の伝統を感じたものである。
山形市立第1中学校の校長退職後、山形市の教育長を8年間務められた後藤恒裕先生。
その秘蔵っ子として才能を磨かれてきた、現校長の吉田勝彦先生。
やはり、1中の先生方は素晴らしい方ばかりである。
配布パンフレットや学校要覧、さらにはPTA広報誌「希望の鐘」など、学校の現状が一目でわかる準備は、流石である。
3学年主任の植松先生の開会の挨拶。
今年の山1中の駅伝大会の大活躍は、植松先生の指導の賜物である。
彼は、以前、山6中の男子バスケット部を全国有数のチームに育てたのだ。
歴代PTA会長が顔を揃える。
吉田勝彦校長から、学校の様子を改めて聞き、新しい転入の先生方の紹介が行われた。
そして、「一月一日」を歌う。
毎年、「一中会」以外では、この歌は歌わない。
「年のはじめの ためしとて〜♪」
正月らしいと、毎年思うのである。
左から、田中隆史先生、佐藤眞人先生、後藤恒裕先生。
後藤先生は、山形南高校から青山学院大学。
先日の箱根駅伝のアンカーの橋間君は直属の後輩にあたり
その話で盛り上がる。
田中先生は、自分がPTA会長の時、きょうとうでありPTAの会員であり、モチベーションが大変だったと思う。
そして眞人先生は、山形南高校の剣道部の先輩。
それ以前から、自分の友人の木村仁陸君の兄貴の親友で、中学時代から知っていた。
眞人先輩は、高瀬小教頭時代、合ノ原分校が廃校になる最後の卒業式に、亡くなった自分の父親が、病室から抜け出して、現職の山形市長として子供たち一人一人と握手をしていたことを話して下さった。
そうやって、覚えていて下さることが、何よりもありがたいと伝えた。
様々な人々の人生が、山形市立第1中学校で交差する。
時代が違っても、その場を体験した「自分史」は、心に刻まれている。
ほんの数年しか、その場所には関わっていない人たちばかりであるが、「山形市立第1中学校に関わった誇り」は、皆一緒に永遠であるのだ。