山形県立山形南高等学校の2年先輩であり、ムービーオンやパスラボ山形ワイヴァンズの共同経営者であり、人生の友でもある市村工務店の市村清勝社長が、60歳の還暦を迎える1週間前に、「劔岳」登山を敢行し、制覇して戻って来た。
1ヶ月前に話を聞いた時、「誰と行くの?」と尋ねたら、「劔岳だけは遠慮しておくと仲間たちから言われ、1人で登るつもり。」と言うので、「誰かと複数で登るか?勇気ある撤退も考えて欲しい!」「命を賭けるのはそこじゃないからね!」と話をした。
しかし、「チャレンジ」「負けず嫌い」「強い意思」がある彼なので、最後まで不安だった。
おまけに、頑固一徹の先代の息子だけに、ブレないのだ。
しばらくして、劔岳登山に向かったが、天候が悪く、登山は諦めたと富山県の様子をフェイスブックで伝えて来たので、「次に登る時は複数の人たちと登ってくださいね!」と伝えた。
しかし、山形に1度もどった市村氏は「土日は劔岳は天気がいい」との情報を掴み、また富山県へ車で行く。
その数日後、ムービーオンの社長室で、自分にその時のことを話してくれている市村社長である。
カニのタテバイ、カニのヨコバイがある難所を通って行く、飛騨山脈(北アルプス)北部の立山連峰の標高2999メートルの山が、劔岳である。
富山県にある山で、氷河が現存する山。
冬期は、毎年遭難者が出て、1959年から2016年までの死者は345人。
それだけに、彼の親しい友人や仲間は、単独登山をかなり心配したのである。
公開もその年の6月20日。
自分は、その時、初めて「劔岳」という山を知ったのだった。
明治39年(1906年)日本地理院の前身である、陸軍参謀本部陸地測量部は、日本地図を作る為に、最も難所の劔岳を目指すのであった。
原作は新田次郎。
この男は、また何かを企んでいるらしいが、あえて言わせてもらう。
凄まじい映画であった。
信仰の山であった劔岳へ、当時の若者達が命を賭けて登っていく。
木村大作先生の映像は、素晴らしかった。
当時、CGをまったく使わなかったのが、さらに話題となった。
あの時の印象が、どうしてもある。
しかし、この男は、すべてを味方につけ登ったのである。
たいしたものだと思う。
奥さんは、一服劔まで同行し、そこからは下山し山小屋で6時間以上、ご主人の帰りを待っていたとのこと。
やはり、単独でき登ったそうであるが、土日は人が多く、周りに人がいてくれて安心だったとのこと。
しかし、されど劔岳である。
難所ゆえの頂上の達成感は、素晴らしいだろう。
途中で、救助ヘリが来た様子の動画も見せてもらった。
やはり、大変な登山。
天気が快晴で、一服劔から往復6時間のコース。
とても美しく、素晴らしい景色だった。
山男達が、後を絶たないのがわかる気がした。
この男は、また何かを企んでいるらしいが、あえて言わせてもらう。
「あなたの命を賭ける場所は、そこではありません!」
でも、2年後輩の自分。
まだまだ、挑戦できると、改めて思った。
勇気とチャレンジ精神を、分けてもらった気がしたのである!