3月6日(月)、11年ぶりに友人の渡邊健太郎氏と再会した。
彼とは、確か2005年の1月に出会い、その年の10月7日(金)〜10月9日(日)に開催された「第1回・YMF山形国際ムービーフェスティバル2005」まで、何度も打ち合わせをし、日本一の商業映画祭を作るために、全力を尽くしたのを覚えている。
その彼と、今回、共通の知人による、偶然の電話がキッカケで、再会することになったのである。
彼は今、17社のコンサルタントをやっており、超一流企業から下町ロケット的な世界一の技術を持つ小さな町工場まで、様々な仕事をやっている。
今回、渡邊健太郎氏と一緒に来社したのは、ワンストップイノベーションの濱口竜平氏。
ファンビジネスや、ポータルサイトなど、様々なコラボレーションが可能となるようである。
濱口竜平氏の、もう一つの顔は、国際プリン協会会長であり、プリン王である。
地域のオリジナルプリンや、2020年のプリリンピック開催を目指している。
11年ぶりの会食の場は、山形市の「浜なす分店」
渡邊健太郎氏は、変わっているどころか、素晴らしい男性になっていた。
以前よりも、ひとまわりもふたまわりも、大きくなったケンケンこと渡邊健太郎氏。
あの頃と今がシンクロした不思議な気分になったのである。
頭のキレや、要点の把握、未来の読み方など、あの時以上に磨きがかかっていた。
かなり苦労をしたようである。
2005年の第1回のYMF山形国際ムービーフェスティバルのカタログである。
そもそも、この映画祭が何故成立したか…。
話は、その1年前、ホリエモンこと堀江貴文氏が、仙台市に、近鉄の後に、プロ野球チームを運営するチーム設立に手を挙げたのである。
楽天の三木谷さんも手を挙げ、IT関連2社の1騎打ちとなった。
当時、堀江貴文32歳。
自分は44歳。
奇遇にも、自分もケーブルテレビ山形を設立したのが、32歳であった。
東北に在るケーブルテレビ局が中心となって作っていた、東北ケーブルテレビネットワーク。
加盟13の局は、地域住民のアンケートなどで指示が圧倒的だった、ライブドアの堀江貴文社長と提携したのである。
しかし、残念ながら、ライブドアが選考から敗退し、今の楽天が勝ったのである。
応援したライブドアが負けて、その後について、堀江貴文社長と打ち合わせた結果、東北のケーブルテレビ局13社とライブドアとで、映画祭を開こうとなったのである。
それが、山形ムービーフェスティバルの開催のきっかけである。
そして、堀江貴文社長の全面的な信頼を得て、山形入りしたのが、前述の渡邊健太郎氏である。
当時は、手探りで、映画祭を始めたのだ。
ホリエモンのほかに、村川透監督、テリー伊藤さん、さらにはフロウズンや村井美樹などが、彩りをつけてくれた。
そんな昔の様々な出来事を振り返りながら、「浜なす」で食事をする。
料理が美味い!
肉の焼き方も、以前とは違う。
炙って焼いているのだ。
お造りもとても美味しい。
何と言っても、旧知の友人との最高の時間は格別なものであったのだ。
渡邊健太郎さんと一緒に来た濱口さんもスキルがとても高い人だった。
宮城県ではテレビに何度も出て、有名な方らしい。
ふきのとうやタラノメなど、とても春の香りがした。
約10年の冬眠から目覚めた熊ではないが、早速ケンケンと、新たな取り組みのスタートには、春を感じる、最高の天ぷらだった。
再会出来る人はあまりいない。
でも、再会には意味があるはず。
とても、嬉しい夜となったのである。