11月2日(水)、とても光栄な夜を迎えた。
山形県が、全国に誇る歌人である斎藤茂吉氏のお孫さんであり、斎藤茂太氏のご長男で、北杜夫氏の甥の、斎藤茂一様ご夫妻と、ご長女家族と、老舗料亭・亀松閣にて、会食をしたのである。
翌日の11月3日は、文化の日の祝日。
毎年、春と秋の2回の斎藤茂吉文化賞の贈呈式の日であり、その表彰式出席の為、斎藤茂一ご夫妻は、東京からいらっしゃったのである。
実は、茂一氏のご長女と結婚された伊藤洋介君のお父上は、護国神社の前にある伊藤写真館の先代の二男であり、山形県立山形南高校で自分の父の4年後輩だった。
洋介君が小さい頃から、家族ぐるみの付き合いをさせていただいている。
自分の父・和夫は、洋介君の父・伊藤吉彌
氏を大好きであり、晩年まで、一緒に釣りに行ったり飲みに行ったりしていた。
洋介君が高校生の時に、親と喧嘩したとのことで、自転車で笹谷峠を越え、自分の家へ来て、約10日間、泊まっていたことがある。
自分より13歳年下の弟・和武とはひとつ違いの同年代、自分も兄貴ぶって人生論を語っていたような記憶がある。
約25年前の出来事。
その後、洋介君が結婚をするということで、父が亡くなり、母が一人で東京の披露宴にお招きをいただいた。
その洋介君の花嫁が、斎藤茂一様のご長女文子様であったのだ。
それからしばらくして、彼が仕事で、仙台に戻ってきた。
その報告に山形に来たのである。
彼とゆっくり話をするのは、約25年ぶりのこと。
予想通り、竹のように真っ直ぐ伸びた、逞しく凛々しい好男子に成長していた。
その後、何度か会うなかで、この日の夕食会を決めたのである。
実は、今年の5月18日に行われた里之宮「湯殿山神社」の創建140年奉祝大祭で、山形県三島通庸初代県令の5代目の三島通文ご夫妻と初めてお会いした。
その翌日、三島通文様とFacebookで友達になっていただいた折り、そのご友人の斎藤茂一様ともFacebookで出会い、友達になっていただいたのである。
さらに、斎藤茂一様も自分も、山形県のブランド特命大使に任命されていたこともあり、お互いが、お互いを知っていたこともあり、そのご縁に感謝しながら、この日を迎えた。
その経緯を吉村美栄子山形県知事に伝えたところ、是非プライベートで参加したいとのことでご一緒する。
老舗料亭・亀松閣のオーナー料理長と、女将の、笹原ご夫妻の「おもてなし」には、感謝申し上げたい。
伊藤家、吉村家ともに、亀松閣とは関係が深い。
自分の母にとっても、しばらくぶりの亀松閣であり、父との結婚披露宴は、この場所で執り行ったご縁がある。
先代は、父と山形大学の同級生。
そんな、ご縁が重なり、この日の明治天皇の御座所がある「菖蒲の間」の宴となったのである。
岩塩の鏡割り。
中からは、山形牛の座布団と呼ばれる部位が出てくる。
その場で料理長が、捌くのである。
今年最後の松茸の炭火焼き。
それらを合わせて、「山形の旬」の鉄板焼を出していただく。
斎藤家、伊藤家、吉村家の参加者での、記念すべき会食の日、斎藤茂一様ご夫妻が山形に来られるのに合わせて設定した。
映画「ぼくのおじさん」は、斎藤茂吉氏の二男の北杜夫氏が、長男の斎藤茂太家に居候をした時の実話をもとに作られた作品。
茂一様は、パンフレットを見ながら、「このぼくは、ぼくです。」と話されていた。
「私共も、この映画に微々たる出資をさせていただいて、製作委員会に入っています。」とお伝えしたら、喜んでおられた。
今月11日の金曜日、主演の松田龍平さんと子役の大西利空君、山下敦弘監督が、ムービーオンやまがたに来場し、舞台挨拶と上映会をする。
今年は、そこからYMF山形国際ムービーフェスティバルが開会する。
斎藤茂一様の奥様は、渋沢栄一氏の4男のお孫さんであり、日本の現代文明の基礎、経済基盤を支える500社を作られた
渋沢一門の出である。
とても素敵な方であった。
今回のトリガーとなったキーマンは伊藤洋介君。
空手家で、今息子さんも空手をしている。
奥様の文子様は、そこに佇んでいるだけで、愛情豊かに育ったこと、さらには愛情を周囲に注いでいることが分かる方であり、その内面から溢れる美しさに、洋介君は惹かれたんだと推察した。
斎藤茂一様については、皆が感銘を受けた。
話す言葉や文脈、質の高い会話。
さらには、周囲を暖かく包み込む人間力。
その、人間の素晴らしさを目の当たりにし、まだまだ研鑽を積まなければと、自己を省みた。
会話の中で、相手に本質を気づかせていく力は、まさに文化力とも言えると思った。
山形の実りある秋の夜、素晴らしい出会いに感謝である。
この日、斎藤茂一様から、本をいただく。
(サインをしていただくのを忘れた…。)
さらに、3枚の写真。
1枚目は、三島通文様(一番右側)のバンドの写真。
2枚目は、三島通文様(右から二人目)と、前列の斎藤茂一様。
3枚目は、三島通文様と斎藤茂一様の若かりし、慶應義塾大学アイスホッケー部の同士の写真である。
山形県の初代県令の三島通庸閣下と、山形県の文学界の誇りである斎藤茂吉先生の御子孫である、三島通文様、斎藤茂一様が、御親友であられることの驚き。
そして、奇しくも今年、自分もお二人と、ご縁ができたことを、とても光栄に思うのである。
山形県の名を高められた先人に敬意を表すると共に、また、ウィットの効いた、楽しい再会を望むのである。
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天高く馬肥ゆる秋、文化と歴史の香り。
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