2015年12月23日(水)、山形テルサホールにて、サン&リブが贈る「クリスマスコンサート2015」が開催された。
天才ソプラニストの「岡本知高」
指揮、構成、演出の「飯森範親」
管弦楽は「山形交響楽団」の、コラボレーション。
今年で3年連続でご招待されているが、今年の「岡本知高」さんは、圧巻であり、涙が零れ落ちたのは、自分だけではなかった。
演奏前には、主催者として、サン&リブの長澤山形食品会長(JA中央会会長等五連会長)の挨拶。
山形食品さんからは、モンテディオ山形も、パスラボ山形ワイヴァンズもスポンサーとしても支えていただいている。
そんなこともあり、両チームのアンセムは、山形交響楽団が演奏してくれている。
今年はモンテディオ山形は、すでにストーブリーグに突入したので欠席したが、パスラボ山形ワイヴァンズの選手やチアリーダーやフロントスタッフが参加する。
すべて、元社長の稲村和之氏が繋いだ絆である。
日本を代表するマエストロ飯森範親さんとは、数年前から、様々なことを話し合う仲間となった。
敬愛する園部理事長と、お二人からのオファーがあり、「山響経営活性化委員会」に、参加したのも、普段からのお付きあいをさせていただいたからである。
この日の演目は、前半がクリスマスコンサートの名の通り、クリスマスソング。
そして、モンテディオと、パスラボ山形ワイヴァンズのアンセムを演奏してくれた。
後半は、天才ソプラニストの岡本知高さんが、オペラを熱唱する。
これが、イタリア語やフランス語で歌っていて、歌詞も意味も分からないのだか、心臓にグイグイ入ってきて、涙が零れ出す。
周りの方々もそうであった。
ラストの2曲は、「なだそうそう」と「島唄」…沖縄の歌であり、飯森さんの好みもあったようだ。
ホワイエでは、サン&リブの試飲コーナー。
西濱専務理事とは、近々打ち合わせで会うことになる。
中山ダイスケ先生と、モンテディオの中井川元GM。
そして、写真攻めにあっていたビリーと、ラ・フランスジュースで、乾杯。
今年も、山形代表のCMキャラクターには、濱田ここね(映画おしん役)が起用され、とても嬉しく思う。
岡本さんのオペラを聞き、「新しい世界」と出会った気がした。
プッチーニの「トゥーランドット」、アメージンググレース等、凄いの一言。
また聞きたい、そう思った。
このテルサホールは、自分の父が現職の時に、開設した。
当時、スタンウェイを2台入れたと言われたが、なんの事か分からなかった。
そんなホールで、父の13回忌のクリスマスに、ソプラニストのこえは、天まで届いたような気がした。
そして、1週間後に42歳になったはずのナイスガイへもきっと届いただろう。
オペラは、心の心象風景を引き出す導火線であったのだ。
天才ソプラニストの「岡本知高」
指揮、構成、演出の「飯森範親」
管弦楽は「山形交響楽団」の、コラボレーション。
今年で3年連続でご招待されているが、今年の「岡本知高」さんは、圧巻であり、涙が零れ落ちたのは、自分だけではなかった。
演奏前には、主催者として、サン&リブの長澤山形食品会長(JA中央会会長等五連会長)の挨拶。
山形食品さんからは、モンテディオ山形も、パスラボ山形ワイヴァンズもスポンサーとしても支えていただいている。
そんなこともあり、両チームのアンセムは、山形交響楽団が演奏してくれている。
今年はモンテディオ山形は、すでにストーブリーグに突入したので欠席したが、パスラボ山形ワイヴァンズの選手やチアリーダーやフロントスタッフが参加する。
すべて、元社長の稲村和之氏が繋いだ絆である。
日本を代表するマエストロ飯森範親さんとは、数年前から、様々なことを話し合う仲間となった。
敬愛する園部理事長と、お二人からのオファーがあり、「山響経営活性化委員会」に、参加したのも、普段からのお付きあいをさせていただいたからである。
この日の演目は、前半がクリスマスコンサートの名の通り、クリスマスソング。
そして、モンテディオと、パスラボ山形ワイヴァンズのアンセムを演奏してくれた。
後半は、天才ソプラニストの岡本知高さんが、オペラを熱唱する。
これが、イタリア語やフランス語で歌っていて、歌詞も意味も分からないのだか、心臓にグイグイ入ってきて、涙が零れ出す。
周りの方々もそうであった。
ラストの2曲は、「なだそうそう」と「島唄」…沖縄の歌であり、飯森さんの好みもあったようだ。
ホワイエでは、サン&リブの試飲コーナー。
西濱専務理事とは、近々打ち合わせで会うことになる。
中山ダイスケ先生と、モンテディオの中井川元GM。
そして、写真攻めにあっていたビリーと、ラ・フランスジュースで、乾杯。
今年も、山形代表のCMキャラクターには、濱田ここね(映画おしん役)が起用され、とても嬉しく思う。
岡本さんのオペラを聞き、「新しい世界」と出会った気がした。
プッチーニの「トゥーランドット」、アメージンググレース等、凄いの一言。
また聞きたい、そう思った。
このテルサホールは、自分の父が現職の時に、開設した。
当時、スタンウェイを2台入れたと言われたが、なんの事か分からなかった。
そんなホールで、父の13回忌のクリスマスに、ソプラニストのこえは、天まで届いたような気がした。
そして、1週間後に42歳になったはずのナイスガイへもきっと届いただろう。
オペラは、心の心象風景を引き出す導火線であったのだ。