7月29日(金)、NTT東日本山形支店関係者と、ダイバーシティメディアの取締役等の歓送迎会が、老舗料亭「四山楼」にて行われた。
前山形支店長だった関井悟氏は、本社のビジネス&オフィス営業推進本部のSE部長を務められ、この度、NTT東日本を辞められ、協和エクシオICTソリューション事業本部の理事となられた。
その後任として、松田哲SE部長が着任された。
新潟大学卒の、器の大きさを感じる方であ
る。
また、前山形支店の副支店長の加藤咲子氏は、東京本社の第二ビジネス営業部担当部長に就かれた。
後任は、石川昌徳氏であり、東北大学卒のコミュニケーション能力が高い方である。
山形県産の名品がずらりと並ぶ。
今回の主人公の、ダンディー関井と、カトサキこと加藤である。
自分は、この二人が大好きで、原理原則が解っており、賢く聡明で、お客さんとの結び付きは強く、信頼を勝ち取り、これから様々なことをやろうとした矢先の異動であったので、とても残念である。
伊藤博文公がつけた老舗料亭の「四山楼」と言う名前。
お造りも美味かったし、鮎もとてもいい。
これからの通信業界のあるべき姿や、非決定論的なメディアのデマンドやマルチモバイル化など、話はつきない。
米沢牛は、さすがに美味い!
この日のことは、皆が忘れないだろう!
人間力があり、仕事のスキルも高く、波長が合う方々は、中々いないが、この二人は別格である。
加藤咲子氏からは、ダイバーシティメディアの人気番組のトークに出演していただいた。
名残惜しいが、午前0時を回っても皆が帰らず、結局午前1時に終演を迎えたのである。
是非、また、集まりたいものである…。
NTT東山形・ダイバーシティメディア歓送迎会
女川の市場に入った「巻き編みのカツオ」の美味しさ!
母の親戚の立谷としえさんが、宮城県から来て、カツオを捌いてくれた。
冷凍ではなく、昨日女川の市場に揚がった巻き編みでとったカツオである。
普通、カツオは1本釣りというイメージがあるが、何本も釣るうちに、最初に釣ったカツオの粋が悪くなる。
ところが、巻き編みだと、一気にカツオを網で取るため、鮮度が落ちない。
思わず、ひときれ、ふたきれと、食べてしまう。
マジ旨!である。
カツオほど、鮮度が重要な魚はない!
甘さを感じるカツオ。
2、3日絶つと、こんな味が出ない。
女川は、カツオ船と、クジラ船の町だった。
木村町長の時、原子力発電所ができた。
そこから、カツオ船も、クジラ船も、しだいに女川に入らなくなって行く。
昔は、カツオぶしも女川町の特産品。
そして、あの東日本大震災。
すべてがもっていかれた。
そんなことに、思いを馳せながら、カツオを頬張ったのである。
西蔵王「楓庵」with 大西社長&増岡社長
東京の日本テクトホールディングスの増岡社長と、その友人である、横浜の大西金属の大西社長とは、この1年間で、様々なお付き合いをさせて頂いている。
増岡社長と大西社長は、中学、高校の同級生であるが、自分も昔から知っているような気がしているから不思議である。
7月26日の火曜日。
西蔵王の奥の院、焼肉「楓庵」に着いたのは、午後7時頃だった。
大自然の中で、美味しい空気の中で、最高のお肉を出してくれる「楓庵」
時々、無性にこの場所に来たくなる。
時間すら止まるような場所…「楓庵」
店内の壁には、張り紙がある。
自己選択、自己管理、自己責任ということか…。
ご主人から、焼き肉を通して、人生そのものを教えていただいているようである。
ここのご主人の生き方から発せられた言葉。
厳格であり、お客さんの到着時間に合わせて炭を焚く。
全席予約制で、遅刻はダメである。
コースの初めは、フィレである。
塩と胡椒で食べるのが、炭がちょうど良い具合に焚かれていて、炭が放つ、遠赤外線が、肉の中まで焼き上げる。
これが美味いのだ!
その後も、塩タンやカルビなど、なかなか表現できない「肉」そのものの旨さを味わえる。
皆が、真っ暗な西蔵王の山の中にある、民家のような所で、ゆったりと食事をとる。
そして、いつの間にか、くつろいでしまう。
特別に、ご主人がスジ肉を出してくださるが、これは格別なものである。
〆のリブロースは、口の中でとろけてしまう。
他の焼肉屋では、体験できない。
親戚会のような、そんな雰囲気の「楓庵」であった。
二次会は、パセオへ。
東京オフィスの新井チープのこれからの良縁を祈念して、強面二人のハートマーク!
ダイバーシティメディアの東京オフィスも、これからもハートフルな場所であって欲しい。
様々な話が、弾んだ夜であった。
NHKスーパーハイビジョン・8Kパブリックビューイング
本日、2016年8月1日(月)午前10時より、NHK・BS17チャンネルにて、スーパーハイビジョンの4K・8K放送を開始した。
4Kはハイビジョンの4倍、8Kは16倍の画素数であり、超高精細映像を映し出す、次世代のテレビ技術。
本日、NHK山形放送局の1階シアターにて、パプリックビューイングと説明会が開催された。
約10分の説明会を、1日中行っていたようだが、自分達の回は、山形県の吉村美栄子知事と、鶴岡市まちなかキネマの小林前社長と3人。
栗田山形放送局長や技術部長が、説明をしてくださる。
4K、8Kと、画素数が上がれば、鮮明さが違う。
デジタルハイビジョンテレビが、200万画素。
4Kテレビは、約800万画素。
8Kテレビは、約3300万画素。
桁外れである。
音響も、4Kテレビでは、5、1チャンネルサラウンド。
8Kでは、22、2マルチチャンネルである。
正直、85インチで見た8Kテレビは、次世代のテレビというが、この数年で実用化になると思う。
もう既に、今日からBSからも降って来ているのだから。
映像も、美しさが素晴らしい!
時代は、まだまだ進化し、社会は放送革命、情報革命に突入する。
リオデジャネイロのオリンピックで試験放送。
そして、2020年、東京オリンピックで本放送である。
綺麗な映像が頭から離れない。
無常の風が、すべてを飲み込んでいく…。
朝、午前7時54分、家の電話が鳴る。
義兄の新関徳次郎氏より、義母の訃報。
昨日は、妻と、義兄の息子が施設を訪ねると、元気で話していたとのこと。
驚きと悲しみと、これからなすべきことが交錯する。
急いで、古館の妻の実家である「山二醤油醸造」に向かう。
何千回も通った道。
いつも笑顔で待っている人が、これからはいないと実感する。
悲しみが溢れる。
妻は、ほぼ1日おきには、お義母さんへ通っていた。
容態が悪いというほどではなかったが、けして良い状態でもなかった。
1ヶ月前に、実母が理事長をしている「せん寿ノ杜」から、義母の自宅のある大曽根の施設に移ったばかりである。
先日、東京の義妹たちが来たときは、とても元気でいたために、少し小康状態が続くのかなぁ…と思っていたが、やはり飲めない食べれない動けないと、次第に体が弱まっていったのだろう。
自然が好きな人であった。
とても大きな優しさを持ち、凛としていて、義父が若くして亡くなってからも、女手ひとつで3人の子どもを成人させ、そして結婚させ、今では6人の孫を持つ笑顔が素敵な人であった。
桜の花が大好きで、馬見ヶ崎川沿岸の桜のトンネルは、お気に入り。
その季節は、必ずお花見をして、娘の家で寿司を食べる…そんな晩年だった。
6、7年前の、古館の家での光景。
いつも、義兄(大曽根餅つき保存会長)の突いた餅を食べる。
義姉(さとみの漬け物講座)が作った、漬け物も並ぶ。
お義母さんの作った郷土料理は最高だった。
子どもたちも、皆が、大好きな場所であった。
もうあの光景は見ることはできない。
家族をとても思っていた人だった。
お義母さんは、末の娘である義妹「東京銀座の山形田の女将」を、特に心配していた。
また、自分のことも、心から理解していてくれた人の一人でもあった。
ダイバーシティメディア(旧ケーブルテレビ山形)で出版したエッセイ本「夢と自信」にも、漬け物をつけているお義母さんの笑顔が載っている。
生者必滅 会者常離は、人の世の習いではあるが、残念至極である。
形あるものは、永遠ではなく、いつか形を変える。
一瞬吹いた無常の風が、思い出や積み重ねた日々を、全部持っていってしまう。
歳を重ねると、多くのロストストーリーと出会う。
だからこそ、その時の「今」を大切にしたい。
本日は、アポイントをすべてキャンセルさせていただき、関係者の皆様には、深くお詫び申し上げたい。
葬儀の8月5日(金)までは、ご迷惑をご容赦いただきたい。
そして、お義母さんには、心より感謝申し上げます。
これまで、大きな優しさで、見守っていただきありがとうございます。
合掌
「シン・ゴジラ」と庵野秀明・ヱヴァンゲリヲン
ついに、映画「シン・ゴジラ」が公開され、様々な謎や秘密が解き放たれ、その姿が明らかになった。
脚本・編集・総監督を手掛けた庵野秀明氏の、昨年4月の製作発売時のコメントがある。
『2012年12月。(ヱヴァンゲリヲン:Q)の公開後、僕は壊れた。いわゆる鬱状態。
2013年、負の波による心の揺れ戻し。
スタジオには1度もいけない。
2014年、スタジオに復帰。
2015年、シン・ヱヴァンゲリヲンに着手。
東宝からのゴジラ製作のオファーは、固辞する。
新しい世界との出会いを求めて、引き受ける。』
まったく新しく創造されるゴジラ。
圧倒的な絶対的存在であった。
上陸。
防衛。
探求。
攻防。
覚醒。
存亡。
共存。
ゴジラの古来からの伝統的様式に、ヱヴァンゲリヲンの要素をプラスしたような、進化するゴジラであり、新しいゴジラと出会えたのである。
誰もか予想できなかった、ゴジラの急激な変化と進化。
度肝を抜かれた。
今日の新聞に、ゴジラシリーズは、通算で
延べ1億人が観たそうめある。
すごい数字である。
やはり東宝のド本命であり、素晴らしい!
ムービーオンの4Dでの「シン・ゴジラ」は、格別であった。
是非、今回は見逃してほしくない!
暑い夏は、「ファインディング・ドリー」
映画「ファインディング・ドリー」を観る。
1年前に公開された、「ファインディング・ニモは、大反響だった。
ディズニーとピクサーが贈る、海の中の魚たちの世界の物語。
カメのクラッシュやニモとマリーン…個性豊かな新しい仲間も加わり、ドリーの家族を探す感動の大冒険が始まる。
すぐ、物事を忘れてしまうドリー。
大切な家族まで、見失い、いつしか自分自身すら見失って行くドリー。
しかし、いつもドリーの周りには、仲間たちがいた。
その仲間たちとのやり取りや、ずっとドリーを待っていた家族の思いが、少しずつドリーを成長させていく。
いや、むしろ、ドリーが、自分が何者であるかということを発見していくのだ。
とても美しい、海の底の物語だか、人間の世界以上に、ピュアで、信じることの大切さを教えてくれる作品である。
是非、暑い夏は、ムービーオンへ。
永野さんと一緒に映画館でΩ(オメガ)を観よう!
8月4日(木)、初めて永野さんとお会いした。
グレープカンパニー所属の、今、お笑いの世界で、最も注目されているお笑い芸人の一人である。
この度、彼が製作した映像作品「Ω(オメガ)」を、ムービーオンのシアター1の大スクリーンで、上映するというイベントであり、副音声で「永野の生解説」も披露。
さらには、永野さんと若手芸人たちのネタ披露など、破天荒の企画である。
舞台では、弾けまくり、全力で、会場を盛り上げる。
司会(MC)は、山形出身の「あがすけ」の2人。
山形南高校卒業(ラグビー部の正副キャプテン・同級生に現パスラボ山形ワイヴァンズの佐藤正成がいる)のグレープカンパニーのサンドイッチマンの門を叩く。「永野と一緒に映画館でΩを観よう!」のイベントは、午後1時と6時の2回開催された。
平日にも限らず、多くの方々が、イベントに参加していただく。
今回の映像作品「Ω(オメガ)」に参加した永野さんと若手芸人たちが、全員登壇する。
俳優の斉藤工や、金子ノブアキなども、本気の演技で出演している。
監督を務めた清水康彦氏は、ミュージックビデオ界出身。
桑田佳祐、GLAY、斉藤和義、嵐ナドナド、多くのPVを手掛ける。
MVA最優秀監督賞も受賞した実力派監督である。
みんなが、感想を延べ、映画を振り返る。
そして、いよいよ、永野さんの芸が始まる。
定番の「ゴッホより、ラッセンが好き!」
そして、突然始まった、オールバックの「吉村コール」
何でも盛り上げる、凄い人であった。
その後、会場から多くの方々が登壇!
みんなで、「イワシ」で、ステージを泳ぎまくる。
最後は「クマさん応援大会!」
皆が、身体中のエネルギーを発散させ、イベントは大団円を迎える。
参加いただいた皆さん、ありがとうございます!
ラーメン、そば、うどん…全部美味い!
「永野一樹」という人
舞台では、弾けるくらいの演技をし、飲んでいても若手の能力を引き出し、みんなを盛り上げる。
一方で、とても真面目で、気配りが素晴らしく、礼儀も正しい…それが、第一印象であった。
時間が経てば経つほど、その人間性は魅力を増し、苦労を知っているだけに、優しさがある。
今、日本中から注目されている理由が解った。
8月4日(木)の、イベントの打ち上げにて、ムービーオン常務の高橋と3人で。
実は、イベントの1回目と2回目の間に、監督、マネージヤー、販売元のポニーキャニオン、永野さん一行など、全員で緊急ミーティングをする。
初めて映画館の大スクリーンでの上映イベントだけに、リアルなお笑い芸と、映像作品の上映、さらには副音声での解説など、…これが、1回目は、バラバラの出たとこ勝負感が強かったので、しっかりコンセプトと構成を話し合う。
清水監督や永野さんからは、製作意図もしっかり話してもらい、皆が、「人間・永野」を浮き出していく。
そんな打ち合わせ中も、永野さんの決断は早く、イベントに芯が入ったのが2回目である。
変えることを恐れない。
進化することを恐れない。
そんな一面を見る。
しかし、永野さんの人気は凄い!
1回目の「Ω(オメガ)」の販売は、シアター1の前でやったが、2回目は、ロビーでの販売会となる。
フェイスに、永野さんと、若手芸人が上陸し、打ち上げ!
そして、2軒目のパセオ。
最後は、ラップ大会であった。
素晴らしい夜であった。
山辺町バスケットボールフェスティバル2016

この大会は、パスラボ山形ワイヴァンズの練習拠点である、山辺町の遠藤町長、清野副町長、町教育委員会、町バスケット協会など、多くの方々のご支援のもと、山辺町主催として、初のプレシーズンマッチを企画していただいた。

猛暑の中ではあったが、1000人を越えるファンの皆さんが、集まって下さる。

山辺町への感謝、格上B1の仙台89ERSが胸を貸していただいたこと、そして、Bリーグが今年9月から始まること、棟方ヘッドコーチが高みを目指していること。
そんな、歴史的な1年が始まる!
自分も、新たな気持ちでマイクを持つ。


会場と選手が一体となるアンセム。





日本人選手10人が、全員参加で出場。

遠藤山辺町長も、遅れて参加する。



とにかく、暑くて汗だくになりながらも、
皆が、必死で応援する。

ワイヴァンズチアリーダーズも健在である。

皆が、全力で頑張ったが、59対76で敗戦。

次のプレシーズンは、8月20日(土)と21日(日)に、鶴岡市で秋田ハピネスの胸を借りる。
まだまだ、棟方ヘッドコーチは、新しいチームを試しながら、一人一人の選手の特徴を掴んでいるようである。
今月末に、外国人が入り、さらに精度を上げていくだろう。
棟方物語がスタートする。
嶋地区「3社提携合同会議」開催!
山形市の北に位置する「嶋地区」
ここ数年で、どんどん進化する町であり、「ドンキホーテ」や「スターバックス」などもオープンした。
そして、そこには隣接する勢いがある3社が隣接する。
東北最大級のスクリーンを持ち、今年の春には東北初となるMX4Dシアターをオープンしたシネマコンプレックスである「ムービーオン」
そして、BMWの正規ディラーと、MINIの正規ディラーである「モトーレンヤマガタ」
さらに、「スズキ自販山形」
8月5日(金)、3社から、代表者と幹部が集まり、ミーティングと懇親会を開催する。

モトーレンヤマガタからは、鈴木肇子社長と鹿間専務。
スズキ自販山形からは、齊藤隆社長と伊藤常務が参加された。
ムービーオンからは、自分と高橋常務と藤木支配人。
さらにダイバーシティメディアの笹原専務が参加。


その後、山形の老舗料亭「亀松閣」での懇親会。

笹原社長兼板長のこの日の特別料理は、「鰻」である。

蒲焼きと白焼きを蒸す。

素晴らしい盛り付けをしていただいた。

蒲焼き、わさびで白焼き、肝と頭も食べる。

この暑い暑い夏を乗り切るには、最高の料理である。


そして、この日の県産日本酒は、「山川光男」である。
山形正宗、楯野川、東光、男山の、4つの酒蔵がコラボレーションしたとのこと。
こちらも、連携の世界である。

お盆明けには、各社から、2名ずつの若手委員が集まる。
さて、毛利家の「三本の矢」になるかどうか、これからが問われる。
とても楽しみである。
御礼。ご会葬ありがとうございました。
8月5日(金)、妻の母、義母新関総子(享年82歳)の火葬、葬儀、五七日忌、御伽を執り行った。
多くの方々から参列、ご会葬、ご厚志を賜り、心より御礼申し上げる。
特に、市川昭男前山形市長、舟山やすえ参議院議員、斉藤淳一前山形市議会議長、吉村美栄子知事がコロラドの為に高橋後援会事務局長、私の会社や学校関係者、経済界や友人など、お忙しい中、約250名の皆さんから足を運んでいただいた。
重ねて感謝申し上げたい。
喪主で義兄の新関徳次郎の挨拶は、手前みそであるが、義母の生きる姿勢をしっかり表現していて、とても感動した。
「とても働き者だった母。
父親が亡くなった後は、女手ひとつで子ども3人を育てた。
いつも工場でスコップをもっていた。」
そして、子どもたち、孫たちの名前を一人ずつ読み上げ、「母のように、いつでもスコップを持ち、一生懸命働き生き抜いてほしい!」と話した。
その前日、8月4日(木)の夜は通夜であった。
自分は、ムービーオンで、「永野さんとΩ(オメガ)を観よう!」のイベントが終わり、急いで駆けつけた。
尊い人の命が天に昇って行くと、家族や親戚、友人や近所の仲間たちの、心にぽっかりと穴が開く。
近ければ近いほどその穴は大きい。
たぶん、その穴は、けして塞がらない。
塞がるわけがないのである。
だから、その穴を「そのままにして」、良い思い出も、悲しく辛い思い出も、持ちながら生きていく術を知って行くのである。
それが「喪の仕事」というものであろう。
これから、自分たちも含めて、義母の思い出を、心に刻み生きていく。
かえすがえすも、この度の葬儀関係に対して、多くの方々のお気持ちが、義母を天へ導いて下さると、信じて止まないのである。
重ねて、御礼申し上げます。
ありがとうございました。
☆虹色ラムネ☆
ダイバーシティメディアの吉田淳一取締役と奥方(当社元マルチメディア課)から、「虹色ラムネ」が届いた。
「ラムネ?駄菓子屋みたいだなっ!」と、そのユニークさは、きっと奥方の発想だなと思った。
開けてみると、段ボールに24本のラムネ。
最近、我が家の独身娘は、毎週、休みの日の度に、集団で海に行っているらしいが、このラムネを数本持っていったら、大好評だったらしい。
それを聞いた自分は、全6種類を飲んだら、これが感動的に美味かった。
思わず、吉田夫妻へ御礼のメールをさせてもらった。
しかし、驚きである。
味か違う…アップル、メロン、グレープ、レモン等々…。
ラムネもイノベーションしている。
ギンギンに冷やして飲むラムネが何故美味いのかも、改めて分かった。
ビンがギンギンに冷えるのだ。
ペットボトルでは味わえないビンの感触。
再発見である。
まだまだ、世の中には、小さな進化を遂げているものが沢山あるのだろう。
だから、世の中は面白い!
祝・イチロー3000本安打達成!
8月7日、イチロー選手が、ついにロッキーズ戦(デンバー)で、メジャー通算3000本安打を達成する。
史上30人目の快挙である。
大リーグでは、2001年からプレイをし、今年で17年目。
その間、首位打者を2回、シーズン200本安打10年連続達成(2001年~2010年)、シーズン最多の262本安打達成(2004年)など、輝かしい記録を樹立している、不世出の野球選手だと思う。
殿堂入りは確実らしいが、何よりも、日本人の誇りであることは、言うまでもない。
日本では、8月8日(月)の昼頃、コロラド州デンバーに行かれている吉村美栄子知事より、興奮気味の電話が入った。
内容は、まさに翌日の山形新聞に掲載している内容であり、同行している山形新聞社の古頭記者が記事にしたのであろう。
しかし、驚いた!
8月3日、イチローが行きつけのデンバー市の人気高級レストラン「TOKIO」で、「おいしいご飯が食べたい!」と話した為、「山形の食と観光ウイーク(7日~14日)」の参加店のオーナーシェフのミキ・ハシモトさんが、「つや姫」を出したら、「これは美味しい!」とのこと。
翌日の4日も「つや姫」を食べに来る。
次の5日と6日は、「つや姫」の弁当を注文。
迎えた7日、「おにぎりが食べたい!」と言うイチローのオーダーに、おにぎり4個を渡したそうである。
その日、イチローは、3000本を打った!
写真は、イチローのコーディネーターの、ブラット・レフトンさん。
吉村美栄子知事は、「つや姫」をプレゼントし、イチローにもっと食べさせてほしいと伝えたらしい。
直接3000本安打と「つや姫」は、直接的には関係ないだろうが、サイドストーリーとして、エピソードとして、とても嬉しく思うのである。
元労働大臣、近藤鉄雄さんを偲ぶ会
8月11日(木)、午前11時より、米沢市のグランドホクヨウにて、近藤洋介衆議院議員のお父上、元労働大臣の近藤鉄雄さんを偲ぶ会が開催された。
各界各層から、約300人以上の方々が集まり、故人を偲んだのである。
先の参議院議員選挙で12万票差の大差をつけ当選した、舟山やすえ議員と、選挙対策本部長を務めた近藤洋介氏のツーショット。
自分の席は、右隣が舟山やすえ議員、左隣が東根市の天香園の岡田誠会長、向かいが中川米沢市長であった。
実行委員長は、長谷川吉茂山形銀行頭取。
副実行委員長は、千歳栄千歳建設会長、本間利雄本間設計事務所所長、遠藤栄次郎遠藤商事会長、酒井彰グランドホクヨウ社長、東海林秀典リンベル社長であり、素晴らしいキャストである。
その他にも、政財界や地場産業の経営者の方々、さらには後援会の幹部の皆さんなどが参加していた。
元参議院議員の、岸宏一先生も挨拶の中で、近藤鉄雄さんとの思い出を話されていた。
高橋和雄氏の知事選挙の際に、「県民が主役」ではなく「県民こそ主役」だと、コンテツさんが意見を言い、ポスターのコピーができたという話をされていた。
近藤洋介衆議院議員が、謝辞を述べたが、これがまた素晴らしかった。
三木派の親分、三木元総理の奥様睦子さんは、いつもこう話していた。
「信なくば、立たず。」
近藤鉄雄先生が亡くなって6年である。
次に続く人たちが、信頼をしっかり持たれるように、頑張るべきなのだろう!
毎年、8月8日は「八八の会」
今から約14年前から17年前の、山形市立山形第八小学校の校長、教頭、教務主任、事務主任の先生方と、当時の数年にわたるPTA会長や副会長たちが集まり、今から15年前に、「八八の会」を作った。
あまりにも、学校の先生方と、PTAのメンバーのネットワークを越えたコラボレーションが素晴らしかったので、毎年顔を会わせようとの主旨で「八八の会」を作った。
当時の校長の佐藤恵治校長、長谷川教頭、富樫教務主任、山本教務副主任、北野事務長。
そして、歴代PTA会長副会長は、逸見、黒田、山口、栗原、吉村、大風、金子各氏。
場所は、毎年「寿司源」である。
いつの間にか、四郎ちゃんこと山口さんは、山形県の子ども育成会長となっている。
いつまでも、元気な人である。
真ん中の、当時は教務副主任であった山本先生は、今では蔵王第一小学校の校長先生である。
このメンバーは、「寿司源」の創成期のメンバーであり、いつも変わらぬ美味しい料理を出して下さる。
黒田さんは、東北電力の組合委員長を勤めた名物男…連合副会長もされた。
その隣は、山形市の社会福祉協議会会長を勤めた栗原さん。
寿司屋の魚料理は、本当に美味い!
この会で、最も最初にPTA会長になったのが、PTAのレジェンド逸見良昭氏。
尚美堂の社長であり、山形県のPTA会長から、全国のPTA副会長に初めてなった人間である。
その後に、遠藤正明、武田岳彦と続いていく。
寿司屋の締めは、そばではなく、やっぱり寿司。
自分の次の第八小学校の会長になった大風印刷社長の大風亨氏。
その後、山形市立第一中学校でも、自分の次の会長に大風亨氏がついた。
彼とは、特に思い出が深い。
自分は、子どもが5年生の時に、副会長でありながら、翌年に行われる「第八小学校50周年記念事業実行委員長」になり、大風亨氏が事務総長に就いてもらう。
多くの事業をしたが、一番の事業は、第八小学校のグラウンドに、山形県と山形市の力を借りながら、「山形五堰」のひとつの「御殿堰」を引っ張り、「親水空間」をグランドワークで作ったことである。
自分の代の次の大風会長の時に、全国PTA表彰を受けたのである。
砂ぼこりがすごかった八小グラウンドに、緑が芽生えた。
「八八の会」も、第八小学校の名にあやかり、末広がりだし、8月8日に毎年飲み会をやるのに分かりやすいと命名した。
佐藤校長もなかなか来なくなり、長谷川教頭は、残念ながら、第八小学校を離れて数年後に亡くなられた。
とても、素晴らしい先生であった。
今回、山本先生から、「長谷川先生から教わったことを忘れない!」との話があって、みんなが長谷川先生に思いを馳せた。
いろんな歴史や、地域のことを、この会で、語り継いで行きたいと、改めて思ったのである。
鬼才・大友啓史監督作品「秘密」の凄さ!
大友啓史監督と初めてお会いしたのが、「るろうに剣心」の山形ロケの時。
そしてキャンペーン。
「迫力ある映像を作る監督だなぁ…。」
「この映像は、観客を飽きさせない。」
この2つのことが、自然と頭に浮かんだ。
しかし、最も彼の才能を知ることになるのは、一昨年の「YMF山形国際ムービーフェスティバル」の時であった。
彼の作品の素晴らしさは、当たり前であるが、彼のとても深い真理の奥底に存在している。
これだけの、心臓わしづかみのミステリーを映像化する力は、彼の持つ宇宙観、世界観に由来するだろう。
山形国際ムービーフェスティバルの夜、特に行定勲監督、大友啓史監督、瀬々監督や、船越英一郎さん、古賀俊輔プロデューサー等の、夜中までの空間は、天才たちの集まりのようだった。
なぜ、死んだはずの少女は生きていたのか?
なぜ、つながるはずのない事件が次々と連鎖するのか?
なぜ、「第九」は『貝沼事件』を封印したのか?
そして、最大の謎…。
「第九」の薪室長の親友鈴木が、自分の命と引き換えにしてまで隠した「秘密」とは…?
死んだ人の脳をスキャンして、記憶を映像化するという画期的な捜査方法「MRI捜査」…脳内捜査が開発される。
少女は、なぜ生きていたのか?
その裏側に見える貝沼の意思。
鈴木が見た、貝沼の脳は?
名俳優人が、脇を固める。
正直、みんなが生き生き、輝いて見えた。
自分は、生田斗真くんは、余り存在感がある役者だとは思っていなかったが、今回、こんなに凄いのか…と、とても驚いた。
まだまだ、大友啓史監督の、映画監督としての物語は始まったばかりである。
これからの作品に期待したい。
そして、是非、この「秘密」をご覧頂きたい!
車の中での「オリンピック!」
天才・坂野哲平氏との再会。
正直、驚いた。
約8年前に会った時、31歳の彼は、「スキルアップジャパン」という会社の経営者として、テレビ業界や映像業界で、かなり尖りながらも、着実に業績を伸ばしていた。
特に放送局には、やはりICTのエキスパートが存在しないため、坂野哲平という人材に、みんなが集まり、多くのキー局や、広告代理店等が、スキルアップジャパンに出資をしていた。
いつか上場するだろうな…と、漠然と感じていた。
だから、てっきり、今も
放送業界の仕事をしていると思っていた。
ところが、8年の時を経て、再会した39歳になる彼は、全然違う業界に移行していた。
聞けば、テレビ業界は、キッパリ止めたとのこと。
会社を分割し、テレビや映像部門を切り離し、売却したそうである。
そして、始めたのが、医療モバイルICTベンチャー「株式会社アルム」
アルムは、「ALL Medical & Mankind」から、命名したそうである。
その内容は、想像を越えたものであり、やっぱりこの青年は天才だな…と、確信した。
目的は、「医療費削減」と「人の命を救う」という素晴らしいものであった。
それを実現するために、ICT(モバイルや独自ソフトウェア)を使い、多くの有名病院と、既に提携している。
今年4月には、最高の診断が可能な病院を開院した。
そして、ブラジルのサンパウロで、昨年10月から、医師を派遣して、遠隔診断支援を始めている。
彼が、「スキルアップジャパン」から、医療の世界に足を踏み入れ「アルム」を設立し出して、まだ、たったの4年である。
やはり、凄い!
一つ一つが理にかなっているのである。
この日は、アルムの戦略室の西川さんも同席してくださった。
浜なす分店では、夏の魚料理を食べる。
一品一品が、丁寧に、素材の美味しさを引き出されていた。
自分と増岡社長は、酒は飲めないが、坂野哲平氏は大好きなそうである。
たまたま、「十四代」があり、それをいただく。
彼は、もともと三重県で生まれ、小学生から高校生までアメリカで育つ。
大学からは、日本に戻り、早稲田の理工学部に入学。
大学生で既に起業する。
24歳の時に、「スキルアップジャパン」を設立する。
約、その10年後に…スキルアップジャパン」を分割し、テレビ映像部門を売却し、「アルム」を設立。
今では、13の会社の社長である。
でも、何よりも彼の成長そのものが嬉しかった。
失礼ながら「スキルアップジャパン」時代は感じなかった、「For What For Whom」「誰の為に、何のために」という、私欲から社会欲が明確になっていた。
『社会から、どうやったら儲けることができるのか?』から、『人命を助けられる可能性を、数パーセントでも高める社会を、どうやったら作れるのか?』に、生き方が変わっていた。
もし、彼が目指す社会が作れれば、どんなに素晴らしい社会ができるだろう…そう確信したのである。
彼から、しばらくは、目が話せない!