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世界的な工業デザイナー奥山清行氏と再会する。

世界的な工業デザイナーの奥山清行氏とは、ずいぶん長い付き合いである。


そもそも、自分とは同じ学年で、彼は五十嵐信氏、菊地規泰氏、鈴木雄二氏らと一緒の山大附属中学の水泳部にいた。


自分は山形一中と山形南高校なので、同じ学校ではなかったが、彼らとはその頃からの友人であった。


五十嵐氏は五十嵐物産、菊地氏は菊地保寿堂、鈴木雄二氏は飯田温泉と、それぞれが元気に活躍をしている。


奥山清行氏と、急激に親しくなったのは、自分の父が山形市長の時に、山形市の街路灯の光量をアップし、防犯と夜間の賑わい創出を目的とした施策を立てた時である。


エンツォ・フェラーリをデザインした奥山清行氏と、400年続く山形鋳物の老舗の菊地保寿堂を中心に、「カロッツェリア」「マイスター」の工房型の職人達の組み合わせにより、イノベーションを起こそうというものであった。




フェラーリの曲線を使ったデザインの街路灯を、山形鋳物で製造する。


まさに、不易と流行の極みの様な取り組み。


伝統産業や地場産業、山形のものづくり関係者は、とても喜び盛り上がる。


電気工事業者をはじめ、様々業種が集まり、最終的には約20産業が関わる山形市の施策となり、地場産業育成の観点からも、全国的にも大きな話題となったのである。


先日お会いした時も、25年前のその頃の話を、奥山氏は「あれが始まりだった。吉村和夫市長の先見的な施策は素晴らしかった。」と、感慨深く話しておられた。


その後、山形県の高橋和雄知事が、山形のものづくりの異業種を連携させた「山形カロッツェリア研究会」を県主導で立ち上げ支援したのである。


奥山氏が会長で、菊地氏が事務局長であったと記憶している。


当時、経済産業省の前田泰宏ものづくり室長は、山形の取り組みを、「ジャパン・ヴィンテージ」とフォーカスしていた。


あの頃は、後の鈴木英敬三重県知事や、多くの省庁のキラ星の方々が、山形を訪れていた。




東北最大級のシネマコンプレックス「ムービーオンやまがた」のデザイン監修も、奥山氏が手掛けてくれた。


その後も、秋田や北陸新幹線、山手線、ヤンマー農機、絨毯、木工製品、時計やメガネなど、多くのデザインのオファーが彼に来ている。


2年前の長男の和康専務の結婚披露宴の引き出物も、彼の作品にさせていただいたのだ。


今回、久しぶりにお会いし、お互いの近況報告を行い、これからの展開についても話す。


彼のデザインした、オリエンタルカーペット「UMI」名前で記念撮影。


この年齢になると、元気に頑張っている同年代がいること自体が励みになるのである。



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