13歳の時、霞城公園の武道館で初めて出会った。
明るく元気に、他校の剣道部の生徒にも、挨拶をしていた君。
それから数年後、数年前とは違うパンチパーマをかけていた君がいた。
自分もリーゼントパーマはかけていたが、パンチパーマは髪を痛めるのでかけたことはない。
高校を卒業した頃、君はバイクに没頭していたし、自分は当時のディスコに没頭していた。
当時の君は前髪を立て、ハイネックにトロイのカーデガン、ニュートラでキメ、コートの襟は立てていた。
自分の髪はサイドグラデーション、ヨーロピアンでビギやニコル、緩やかな服を着ていた。
アルバイトでは露店の焼きそば作りが君の得意技だった。
自分は土方で、千歳小のコンクリートを運んではこねていた。
社会人になって再会したのは『20代の会』
約1000人の20代の若者が、『山形を良くしたい』と政治団体として届けた。
その後、『Yの会』となり、加入者は2000人となった。
そして30歳を過ぎた時、仲間たちでバーベキューをしていた夜。
『テレビ局を創る。山形を変える。』
そんな雲をつかむ話を自分がした時、君は一緒に歩いていくと、車のディーラーの職を辞めた。
奥さんと息子が二人もいたのに。
良くも悪くも、そんな危なっかしい夢に、君は賭けたのだ。
数ヶ月後、早川や荒井も合流する。
次第に、夢から現実の目的になる。
そんな話は虚構かもしれないし、大ぼらかもしれない。
信じる者が、夢を現実に変えるチカラを持つ。
多くの素晴らしい方々が、チカラを貸してくれた。
あれから24年。
多くの出会いと別れを繰り返し、まだこの道を歩いている。
でも不思議である。
坂の上の雲は、まだしっかり見えている。
それも鮮明に見えているのだ。
何の為に…。
誰の為に…。
約束の場所へ向かう物語は、歴史的必然だと思えていた。
そして、自分自身の証明であると信じた。
サンクチュアリ…それは、自分の信念が創る自分自身のアイデンティティなのだろうか…。
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サンクチュアリ・2
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