2008年4月20日(日)、株式会社ムービーオンは、山形市の北東部嶋地区に、全10スクリーンを持つ、シネマコンプレックス『ムービーオンやまがた』をオープンした。
東北展開をしている老舗本屋の八文字屋書店と連携を試み、『カルチャーコンプレックス』として、原作の活字、映画の映像、音楽のCD、そしてDVDやゲームにいたるまで、幅広いお客様のニーズに応える、メディアミックスサービスエリアを創造したのある。
ちょうど今日で、6周年を迎える。
山形県の村山地区初の、それも東北最大級のスクリーンをシアター1に持ち、世界的デザイナーの奥山清行氏がデザイン監修、日本の中で、最も美しい独立系の映画館として誕生したのである。
1番喜んでいたのは、当時ムービーオンの専務であった飯野昇悦氏であった。
シネマ旭など、山形の七日町を中心に、映画興行の核となっていたのが宮崎合名社であり、亡き先代の後を引き継ぎ、時代が単館の時代から、車社会に対応するシネコンに移行する中でも、山形の映画文化を守ろうとした人であった。
オープンして、いよいよという時に、病に倒れ、帰らぬ人になったのである。
オープンの時も、飯野専務が天に召された時も、YMF山形国際ムービーフェスティバルの時も、キャンペーンやクリスマスイベントの時も、この6年間、ムービーオンはいつも変わらずに、いつも『夢ミルトコロ』で『ワクワク、ドキドキ』心がときめく場所であり続けてきた。
昨日の4月19日(土)は、自分にとっては1年の中でも、じっとしてはいられない1日である。
まだ、昨日の親不知の抜歯が少し疼いていたが、ムービーオンへ向かった。
6年前は、ちょうど今年と同じ曜日であり、4月19日は、今年と同じ土曜日だった。
翌日の20日の日曜日は、ムービーオンの『こけら落とし』
藤沢周平先生の映画『山桜』の主演の東山紀之さんと田中麗奈さんを招き、舞台挨拶をし、試写会を予定していた。
また、数百人規模の見学会と、夜には山形グランドホテルでのレセプションパーティーを予定し、ムービーオンとケーブルテレビ山形の両社や、自治体や株主などの関係者みんなで、東京や全国からの映画関係者をもてなすつもりでいた。
多くのスタッフが、1年前から準備してきた集大成である。
しかし、4月19日の土曜日に、ある自分本位な思考から、日常の仕事を真面目にやっていた社員を巻き込み、偽りの話を真実の話のように作り上げ、ケーブルテレビ山形やムービーオンの善良なる仲間達を巻き込み、とても大切な社内外の信頼をズタズタにした許されない人間と、それに逆らえず流された弱き人間が浮き彫りになったのである。
これにより、4月20日の、山形県の映画文化の歴史的な日はズタズタになりそうだった。
しかし、前日の19日の夜遅くまで、そんなネガティブチームに邪魔されることなく、しっかり未来の子ども達に誇れる1日にしようと誓ったメンバーがいた。
そのメンバーの力で、なんとか、山形県内外の映画関係者に喜んでもらい、すべての行事を終えたのである。
それから、会社が落ち着くまでは、半年くらいかかった。
会社トップの辞任により、問題は終息に向かうのである。
いったい、彼らは何を望んでいたのだろう…。
今だからこそ、2つ言いたいことがある。
ひとつは、自分達の会社は、新日本監査法人と旭会計事務所から、毎週のように厳しいチェックを受けている…コンプライアンスとCSRに、これ以上ないくらい自律性を持って取り組んでいる会社であること。
ふたつ目は、当時、彼らが巻き込んだ人たちは、みんな重い荷物を背負ってしまった。
どう責任をとるのだろうか。
自分は、美辞麗句をいくら並べても、姑息で卑怯なことは、絶対許せない。
6年前のこの時期を考えると、怒りと情けなさで、じっとしていられないのである。
だから、昨日は、大切な人たちと映画を観たかった。
三沢朋花さん、松田優香さん達と、映画を観る。
映画『ローンサバイバー』を観た…ちょっと寝てしまった…。
映画の後に、ムービーオンのコンセンサス会議。
その後、この日のカオスの心を、岩手の仲間に電話をして話す。
誰かと話をしたかったのである。
最後に、フェイスへより、ヤスユキ氏、イタガキ氏達と話す。
この日のフェイスは、ロータリークラブメンバーから若者まで、店が数回転するくらい忙しかったらしく、自分が行った時は、以前ハルにいたMさんも手伝っていた。
この時期、自分の未熟さと不完全さを目の当たりにし、心から反省をした日でもある。
そんな、いろんなことを刻みながら、ムービーオンの歴史は積み重ねられていく。
しかし、物語は始まったばかり。
花は咲き、そして散るが、幹は年々太くなっていくのである。
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ムービーオン『オープン6周年☆』
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