7月23日(土)は、土用の丑の日。
昼過ぎに、うなぎと郷土料理の店「あげつま」へ注文の連絡をした。
大繁盛であり、既に売り切れとのこと。
土用の丑の日は、やむなく断念し、翌日の日曜日に食べることとしたのである。
日本では昔から、夏の土用の期間は夏バテがしやすく、また、「丑の日」は「う」のつく食べ物(梅干し、瓜、うどんナド)を食べる風習があった。
一方で、“うなぎ”は、夏には売れない商材だったらしい。
江戸時代の蘭学者「平賀源内」に、うなぎ屋が「どうしたら“うなぎ”が売れるのか?」と相談したところ、「本日 土用の丑の日」という看板を出すことを提案。
見慣れない言葉に足を止めた人々に、“うなぎ”の効用などを話し、お店は大繁盛したと言う。
以来、「土用の丑の日」に、“うなぎ”を食べる習慣が定着したのである。
斎藤茂吉翁と結城哀草果が、よく“あげつま”で“うなぎ”を食べたことは有名である。
眼が弱かった茂吉翁は、“うなぎ”をこよなく愛したとのこと。
土用の丑の日の翌日、日曜日の夕方に、“うなぎ”を取りにあげつまに伺った。
テイクアウトの方々が、次から次へとお店に来られ、9代目の揚妻礼悦さんご夫妻は大忙しであった。
歴史と風土、そして伝統と革新を経て、今、自分たちは、美味しい“うなぎ”を食べることができる。
以前は、先代である揚妻奉昭さんがお店に出ている頃は、一年に3、4回は、山形南高校同窓会の役員会で、「あげつま」にお邪魔していた。
コロナ禍前までは、時々、東京からのお客様をお連れしていた。
ここ数年は、うなぎ不足で、その値段が高騰しているので、なかなか手が出ないのが実情だが、やはり、年に一度は「あげつま」の“うなぎ”を食べたいと思うのである。