「客体の価値は、主体の価値に比例する」
東北芸術工科大学の端山貢明名誉教授が、よく口にしていた言葉である。
2022年2月10日北京にて、羽生結弦選手の、大いなる挑戦は終わった。
いや、完結したのかもしれない。
金メダルは取れなかったが、羽生選手が追い求めていた価値は、彼自身しか分からないのである。
本人が、「一緒懸命頑張りました。あれが僕の全て。」と語り、完全燃焼した羽生選手の言葉や姿は、世界中で感動を呼ぶ。
それまでも分かっていたが、この日、彼の追い続けていたのは金メダルの栄誉ではなく、前人未到の人類が見たことがないクワッドアクセル(4回転半)だったのである。
フィギュアスケートのトップを走る彼は、努力と天才の稀有な存在であり、そのスケーティング自体が人々を魅了する。
客体の価値は、主体の価値に比例する。
以前は、日本では、オリンピックの価値は、「出場するだけで価値がある」と言われていた。
外国の方々の身体能力には遠く及ばなかった約50年前は、オリンピックに参加することがゴールだったのである。
しかし、その後、幼少期からの科学的な育成方法の進歩や、世界からの指導者の招聘など、日本の競技レベルは格段に上向いていく。
最近は、オリンピックやワールドカップに出場するアスリートたちは入賞を目指し、選ばれた資質と才能を発揮する人たちは、金メダルやチャンピオンを目指し最高の栄誉を手にする。
それらは、素晴らしいことであり、人々に勇気と感動を与えてくれたのである。
同時に、日本でのスポーツの可能性や、競技の魅力を再認識させてくれたのである。
しかし、羽生結弦のそれは、そこではなかった。
他者と競い合い、金メダルを取る為ではなく、「人類の進化」や「トップを走っている自己の限界」に挑戦したのである。
自己の技を極め続けることこそが、自己の存在理由であるかのように、彼は表現し続けた。
「天と地と」
波瀾万丈な上杉謙信の孤高の生涯を表現した演目。
謙信は、亡くなる49歳まで、「美徳」を追い続けた武将である。
北京オリンピック最高の感動と感激に、感謝と賞賛を送りたい。