10月27日(水)、山形グランドホテルにて、令和3年度 山形交響楽協会 第5回 理事会が開催された。
理事会終了後、この日桂冠指揮者就任発表が行われた飯森範親マエストロを囲んで記念撮影。
鈴木隆一でん六社長と、古窯の佐藤洋詩恵さんと。
理事会では、令和4年度自主事業演奏会の曲目や日程案が提示され承認された。
続いて、西濱専務より2021年収支進捗状況や、50周年記念事業についての報告があった。
その後、山形交響楽団の芸術監督の飯森範親さんが会場に現れ、来年度より「桂冠指揮者」に就任することが発表されたのである。
寒河江浩ニ山新社長や長谷川吉茂山銀頭取をはじめ24名の理事が出席する中、園部稔理事長のご挨拶の後、三井嬉子会長から「山形交響楽団を支える方々が、地域に根ざし、組織化されて支援されていることがとても素晴らしい」との話があった。
確かに、各界各層の皆さんが、定期的に集まり「山形交響楽団の持続的発展」を議論することは、素晴らしいと思った。
西濱専務は、このコロナ禍においても、多くの方々のご支援を形として、前年度は4千万円を超える黒字とした。
その手腕は流石であり、現実路線を歩みながらも、将来へのコンセプトがしっかりしており、予測不能な中での備えにしっかり当てている。
その後、西濱専務より、指揮者人事についての報告があった。
飯森範親マエストロは、山形交響楽団の芸術監督を退き、2022年度より、桂冠指揮者に就任するとのこと。
桂冠指揮者とは、実績や功績を認めて贈られる称号。
飯森さんは、2004年に常任指揮者、2007から音楽監督として、山形交響楽団のレベルアップと発信に大きく貢献し、「モーツァルト交響楽全集CD」製作・発売という金字塔を打ち立てた。
来年度も、創立50周年での定期、ユアタウン米沢・南陽などへの出演も決まっている。
この日は、多くの報道関係者が集まり、理事会終了後、取材をしていた。
自分と飯森さんを引き合わせてくださったのは、当時の山形食品の社長の稲村和之氏であった。
郷土料理の「あげつま」にて、初めてじっくり話した。
自分も小学生の時に山形四小器楽部に所属していて、コルネット(トランペットの様な管楽器)を吹いて東北大会までいった歴史があり、クラシックについての話が弾み、とても盛り上がったのを記憶している。
飯森さんが、素晴らしい才能を持っていようが、その一筋の道で生き抜いていくという覚悟に、とても魅力を感じたのである。
その後、モンテディオ山形に習いパスラボ山形ワイヴァンズのアンセムを公募するアイディアや、当選した曲の編曲と録音など、音楽の世界から他のジャンルへ世界が広がっていった。
2014年秋には、飯森マエストロより、札幌市長の上田文雄氏と加藤総業の加藤聡社長との会食の席に呼ばれたのは、自分の人生での大きなマイルストーンになったのである。
この席で、上田市長が「都市機能はダイバーシティ。オーケストラも、プロスポーツも、映画館もある。」とおっしゃった。
端山貢明先生の言葉と共に、深く自分の心の芯を鷲掴みにした言葉である。
ダイバーシティメディアの命名に当たるフィロソフィーになったことは言うまでもない。
その後、2017年の5月30日の定時総会で、山形交響楽協会の理事を仰せつかったのである。
名残惜しかったが、お正月に会食することを約束してお別れをした。
飯森さんが、桂冠指揮者として、更なる活躍をされることを心から祈念申し上げる。