稲村さんとの歴史は古く、自分が大学を卒業し、山形県経済農業共同組合連合会の肥料農薬部に所属になった時、自分の5歳上でバリバリ仕事をしていた。
社会人のイロハを教えていただいた方であり、多くの先輩の中でも、極めて優秀であったのを覚えている。
その後、山形食品の社長に就任した稲村さんからは、飯森範親マエストロや、東北芸工大の中山ダイスケ教授(現学長)などをご紹介いただき、何回か、ここあがつまが会食場所となった。
山形交響楽団の西濱専務や、モンテディオ山形の当時の中井川GMも含めて、異業種文化の交流場所を作っていただいたのである。
山形食品からは、パスラボ山形ワイヴァンズのスポンサーにもなっていただいた。
現在、稲村さんからは、山辺町民運動広場や体育館の指定管理事業の顧問に就任していただいている。
「あげつま」と言えば、ウナギ。
斎藤茂吉と、その弟子の結城哀草果が、この「あげつま」に入り浸り、好物のウナギを食べていたのは有名な話である。
晩年、目が悪くなった茂吉翁が、ビタミンEが豊富に入っているウナギを、好んで食べたとのこと。
「あげつま」の当代は、山形県生活衛生料理組合の若き理事長である。
あがつま15代目の揚妻礼悦氏。
お父上は、自分の山形南高校の先輩であり、高校時代の剣道の師匠であった。
食事後、お会計の際、「今日解禁のタケダワイナリーのワインです。是非、召し上がってください。」といただいた。
その後、少し調べてみたら、2015年、仙台市や山形市の飲食店や酒販店が、東日本大地震の発生当時、炊き出しなどのサポートをしてくれた各地のワイン業者への恩返しの為、タケダワイナリーの協力を得て、「ヴァン・ド・ミチノク」を作った。
「復興ワイン」である。
2015年から、毎年生産しているとのこと。
「ワインで繋がる」ということで、今年の3月11日に、初めてその存在を知ったのだ。
タケダワイナリーの岸平さんが造ったワインだから、きっと素晴らしい香りと味であろう。
あれから10年、ここにも物語が生まれ続いていた。
改めて、ここ「あげつま」は、人と人、物語と物語を繋ぐ場所であると思うのであった。