とにかく目がまわるくらい忙しい日々が続いた。
お盆明けからは、激流に流されるようなアポイントや予定がびっしりであり、朝から夜中の2時過ぎまで、フラフラになりながら振り子を振り切る。
昼食は、移動の車の中でコンビニのおにぎりを、スタッフ後藤と食べながら、次のアポイント先に向かう。
ひとつのアポイントが終わり、携帯を見ると、着信や留守電が必ず入っていて、メールも十数通入っている。
次への移動中にメールを返したり、電話をしたり…それでも残ってしまう。
しばらくぶりで、超多忙な日程だった。
よって、ブログを書き始めて初の連続3日間ブログを休み状態であった。
いや、さすがに書く時間が無かったのである。
8月22日の木曜日に話しはさかのぼるが、昨年のYMF山形国際ムービーフェスティバルの時に来県した『于(う)社長』が、再来県した。
旧満州国のあった『瀋陽市(しんようし)』の市長がお祖母さんであり、その孫娘の于社長は、小さいときから、政治的な視点や経済的な視点で、本質をつかみ、15年前に日本に来てからは、日本の棺桶の15%のシェアを彼女の会社が持っている。
手塚社長と食品関係の会社の部長、そして于社長の3人と、当社幹部で会社の斜め向かいのシベールの2階『エルミタージュ』で、夕食をとった。
オードブルからフルコースをいただいた。
話しは尽きず、世界のビックスリーと言われるセミナー主催者のひとりのロッキーリャンさんの話を聞いたり、ロッキーリャンさんと于社長の出会いなどを聞いた。
そんなことをしている間に、デザートが出て来た。
イチジクのタルトとアイス。
この二人は、イチジクを食べなかった。
于社長の前で、失礼である(笑)。
しかし、話を聞いてみると、イチジクはカケラも食えないそうである。
その後、于社長のメールには、『イチジクが食べれなーい人たち』との呼称で、設定されている。
于社長は、相変わらず、凄いバイタリティであった。
ちなみに、于社長の本名は、『淳于』であり、3000年前、周と秦の間の時代である『春秋戦国時代』に、『淳于王国』があり、于社長は、その末裔だそうである。
不思議なもので、ちょっと感動してしまった。
これから、彼女たちのビジネスや、中国富裕層の方々のライフスタイルや考え方を学びたいと思った。
ちなみに、ロッキーリャンさんのセミナー参加費は、数日で、数千万円。
まだ40代の方である。
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めまぐるしい日々
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