令和元年8月11日(日)、山形グランドホテルにて、山形市立第一中学校第28回卒業学年の、「還暦同窓会」が開催された。
約360名の同窓生の中、85名が参加してくれた。
欠席の連絡は115名で、92名が所在不明であった。
改めて、卒業してから45年が経過したことを実感する。
自分は、学年同窓会の会長を仰せつかっており、先生方のアテンド係。
自分たち1組の担任は早坂健三先生で、齢88歳の米寿を迎えられたとのこと。
自分の父親の山形南高校で1回先輩で、「二高一回モッコ会」であったそうだ。
2組の担任の篠原みな先生は、齢92歳。
しっかり歩いてこられ、驚いた。
早坂先生は「篠原先生、偉いなぁ〜。92歳で来てくれること自体が真面目で偉い!」と声を掛けられる。
篠原先生は「ハガキをもらって、嬉しくて、会いたくて、しょうがなかった。あのあどけない表情な子どもたちが、どんなに逞しくなっているのかを、しっかり見届けたかった。」とのこと。
自分は、それだけで、今回この同窓会を開いた甲斐があったと涙が零れそうであった。
時間になると、会場は多くの旧友たちが集まってきた。
懐かしい顔ばかり。
何故か山二中卒の会田浩平君がいた。
自分達とは山形南高校で同級生だが、「何で君は来ているの?」と聞くと、「第一小学校の同級生達と会いたかった。」とのこと。
田舎町だから、こんなこともあり得るのだろう。
当時、自分は、緑町二丁目の埋立地の借家に住んでいた。
自宅の向かいに住んでいて、いつも一緒に登下校をしていた村井貞彦君。
時折、お互いに問題を出しながら帰ってきた。
歴史だったり、理科だったり、それが不思議に楽しかった。
彼は東高に行き、ほとんど会わなくなった。
数年前まで、東京の三菱重工で活躍していた。
幼稚園からの幼馴染の米屋の鈴木薫君。
米屋を廃業して、寒河江市で、大規模な農業事業会社を設立し、経営しているそうである。
第4小学校の頃、1番パッタ(メンコ)をしたのは彼である。
懐かしくて、ゆっくり話せて良かった。
皆んなと、携帯電話の番号を交換する。
記念写真を撮影後、会場にて神事を行う。
里の宮湯殿山神社の宮司の渋谷先生より、祝詞を唱えていただく。
たぶん人生でこの年齢の時だけの、還暦の祝詞奏上である。
渋谷先生は、村山修介副会長の義兄であり、自分もまた、湯殿山神社の奉賛会副会長を仰せつかっている。
5名の先生方による玉串奉奠。
各組代表の8名と顧問が玉串奉奠を行い、全員が続く。
物故者への黙祷の後、鎌田義彦副会長による開会の挨拶。
還暦の意味、還暦同窓会の意義について話されていた。
司会進行は、高橋昌彦君と豊泉(現佐藤)ひろみさん。
会長挨拶では、先生方のご出席への心からの感謝と、物故者への哀悼の意を述べ、この還暦同窓会の場に参加できる喜びを話す。
15歳で学び舎を巣立ち、それぞれが、様々な人生を歩まれ、再びここで交わる奇跡。
ここからは、定年などもあり時間もできるので、もっと寄り添って歩んでいこうと重ねて話す。
会計監事の荒井幸一君より、会計報告が報告された。
渡辺和子先生には河村千里さん、田口きみ子先生には飯野桂子さん、工藤利正先生には福田貴子さん、早坂謙三先生には荒井史子さん、篠原みな先生には高橋えり子さんが、感謝の花束を渡す。
(全員旧姓)
それぞれの先生から、花束への御礼と、この同窓会へお誘いを受けたことへの感謝と、皆んなと会いたかった気持ちを聞かせていただく。
88歳の早坂謙三先生は、「花を贈る人は、心に愛が宿る。皆んなの気持ちに感謝する。これからもさらなる活躍を!」と、激励を受ける。
早坂謙三先生による、乾杯の音頭。
皆んなで杯を合わせる。
久しぶりの旧友との話しや、DVD視聴、仕事や家族のこと、連絡が付かない友人の消息など、話題は尽きないのである。
当時の合唱コンクールの指揮者の村井貞彦君が指揮、黒沼(現高橋)佐知枝さんがピアノ演奏。
生徒会長だった榎森正浩君による中締め。
笑いを取りながら、この還暦同窓会の意義を話していた。
三本締めは、横山博美副会長。
先生方への感謝、この会の準備をしてくれた幹事達へのねぎらい、そして皆んなの再会を祈って、閉会の挨拶。
榎森顧問に代わって、締めてくれた。
少年から青年への多感な時期、先生方や後輩たち、そして家族から門出を祝ってもらい、送り出していただいた。
今日は、自分たちが、先生方を送り出そうと、アーチができあがる。
2001年8月11日(土)、41歳の時に初の同窓会を開催、114名の出席。
2004年8月15日(日)、2回目の同窓会、75名の出席。
2007年8月12日(土)、3回目の同窓会、72名の出席。
そして、12年ぶりの今回、85名の出席。
皆んなが集まれば、力をもらえる。
不思議とプラスのエネルギーをもらえるのだ!
参加してくださった皆んな、ありがとう。
また、同窓会をもっと間を空けずにやろうと話をした。
歳を重ねると、会える時にしか会えないことを知る。
とっても充実した、素晴らしい、自分史に刻まれる夜となったのである。
(二次会の様子は、次の機会に!)