7月中旬、東京在住の土屋慶子(旧姓西村慶子)さんが山形入りをし、山形市立第四小学校の同級生たち数人と、この秋の同窓会開催に向けて動いていた。
今年になり、自分の周辺では、還暦を迎える学年として、中学校(山形一中)や、高校(山形南)の同級生たちと、還暦同窓会の開催が次々と決まっていた。
ほとんどの仲間たちは、それぞれの中学校や高校の還暦同窓会を開催するので、小学校時代までは、届かないでいたのであった。
当初は、第四小学校の同級生の、ツルヤの会田源司くん、最上川の清水茂子さん(旧姓)、土屋慶子さん、中学の校長を務めている高橋正博くん、小林誠也くん、斉藤香太郎くん等が集い、何となく「飲むか?」くらいのレベルだったらしい。
しかし、どうせするならと、土屋慶子さんのエネルギーで、学年全員へのご案内とのことになったのである。
土屋慶子さんの山形滞在最終日である7月19日(土)、ダイバーシティメディアの向かいのイタリアンレストラン「ボーノ」で、打ち合わせをする。
思い返せば、千歳幼稚園の三年保育の年長さんの時代、つまり、自分が3歳の時から彼女と一緒である。
3年間のミッション系の幼稚園では、日曜日のミサやバザーが印象的だった。
その後、二人とも第四小学校へと進んだ。
そこでは、当時の小学校では珍しい器楽部(ブラスバンド部)に所属した。
彼女はホルン、自分はコルネット、茂子さんはトロンボーンだった…。
そして彼女は、山形大学付属中学校から山形西高、そして明治大学から東京の広告関係会社へ、その後起業して大成功し、新宿に家を建てる。
同じ学校でもなく、仕事も一緒でもなかったが、親戚やファミリーのように、顔を見れば「元気だった?」「今何やってる?」とか、そんな関係だった。
山形大学付属中学校と山形市立第一中学校の共通の仲間が多かったし、その後の高校時代も様々な繋がりがあった。
そんな関係で、従姉妹と話しているような感覚になってしまう。
これが幼馴染であるのだろう。
こちらが忘れている過去や、誰と誰が親戚だったんだよ!とか、ここに来て驚く話があり、彼女の才覚を改めて感じたのである。
基本的に、頭が良い子であったし、この日の段取りもあっという間に決まった。
10月13日(日)、午後3時頃に集まり、夕方懇親会。
詳しい内容は、往復葉書が届くので、ご覧いただきたい。
準備は大変だけども、40年も会っていない仲間たちとも会えると思うと、チカラが湧く。
楽しみながら、進めていこうと思うのである。