82歳の母が、故郷「出島」にしばらくぶりに墓参りに戻ったのは、10日前の5月20日の日曜日のこと。
この日は、出島は、古くから祭りの日である。
以前は、漁師の町で賑わっていた出島は、山を敬い、海を鎮め、自然の神々に除災招福を願って暮らしていた。
ところが、あの東日本大震災によって、ほとんどの家や店が流され、ほんの僅かばかりの島民は、島の高台にある小学校に避難し、グランドに「SOS」と書いて助けを待ったのであった。
あれから7年が過ぎた。
島民は、未だ100人に満たない。
小学校も、中学校も失った。
何とか確保した定期航路。
唯一の、物資流通経路でもある。
以前、出島の町があった所には、住宅は何もない。
自分も、子供の頃は、夏休みには真っ黒になって、島の友達と1ヶ月間遊んでいた。
1人実家に残った叔母さん。
仮設住宅から運良く移った、その小さな住宅に、小さな仏壇がある。
小高い山に、墓は残っており、弟家族に手を引かれ、母は高い階段を登っていったそうである。
帰ってきて、「人生の最後に、お墓参りできて良かった…。」と呟いていた。
漁師には祭りはとても大切な催事であり、昔は町中あげて、夜通し騒いでいた記憶がある。
しかし、今は、陸地からボランティアの方々が来てくださり盛り上げて下さるそうだ。
戦後の日本に戻ったようである。
まだ、自分は行けない…。
悔しくてしょうがないのが本心。
自然の起こした災害であるが、正直、回復させられるのは人力と資金のみ。
東京オリンピックが重要なのも分かるが、プライオリティーは復興が先である。
様々な国際問題や、籠池や加計問題に、時や資金の多額の投入をするならば、被災地の復興と福島第一原発事故の解決を、日本国の最優先政策課題として取り組んでほしいと切に願う。
まだまだ故郷に帰れない人、親御さんと離散している幼き子どもたち。
放射能による健康被害。
同じ東北の民として、「順番が違うだろ〜」と、思うのである。
まだ、具体的に何もしていない原発事故の処理。
なのに再起動などと言うことが、よく言えると思う。
放射能汚染の憶測は多い。
東京都のど真ん中のセシウム濃度が異常に高値だったり、実は、日本全国が回復不可能だったり…。
しかし、この問題は、その大きな力に頼らなければ、復興はできない。
ここで一案。
数年前議論された、遷都である。
政府を福島か宮城へ移行する。
みんなが、本気にならなければならない。
真剣に考えなければならないのは、未来ではなく、今である。
母の帰省。
暖かく迎えてくださった、叔母さんや島の皆さん。
その笑顔を見れば見るほど、何もできない自分たちの不甲斐なさが、呼び起こされるのであった…。