ジョセフ・クックECが退任して、2試合負けが続いた。
19勝27敗であったパスラボ山形ワイヴァンズの成績不振の責任をとったジョー。
理由はそれだけではないが、最も大きく重大な理由は、負けが大きく先行したことと、チームを統率できなかったこと。
B2東地区では岩手、仙台、青森に続いて4人目のトップ交代となった。
チームとしては、ジョーが最後に指揮をとった信州ブレイブウォリアーズの2戦目、石川裕一アシスタントコーチが指揮をとった福島ファイヤーボンズのウィークデイマッチ、そしてバンビシャス奈良の初戦。
この3試合とも、パスラボ山形ワイヴァンズはすべて負けた。
ジョーに代わって急遽指揮をとることとなった石川裕一アシスタントコーチとライアンヘッドコーチ、選手、スタッフ、フロントを含め、それぞれが夜中まで話し合い、怒りや悲しみをぶつけ合い、でも勝てない自分たちチームに悩み、どんどん光が見えないどん底に落ちていくような気がしていた。
自分も、正直、今年度はここまでかと、これまでのフロントの決断を顧み、コーチ陣と選手たちと話し合い、早急な手当てをしなければならないと感じていた。
しかし、彼ら選手は、様々悩んだ末に、自らが「プロとしての自覚」を再認識してくれたのである。
そして、会場に応援に来てくれるファンやブースターの為にも、スポンサーをしてくれる会社の為にも、「勝たなければならない!」ということを、改めて心に刻んだのである。
この4年間、会場に、辛く厳しい時こそ、駆けつけてくれたファンやブースターのみなさん。
本当に感謝しきれない気持ちであった。
4月1日(日)、バンビシャス奈良との2戦目。
また、厳しい試合になるな…と思っていたが、前半を終えて、山形ワイヴァンズ30点、バンビシャス奈良が31点。
そして後半が終わった時、山形72点、奈良72点の同点であった。
前日の3月31日の試合も、同様に接戦であったが、前日は後半に山形ワイヴァンズが大崩れし、最後は奈良が75点、山形が63点と、12点の
差をつけられ敗れたのである。
しかし、この日の山形ワイヴァンズは、裕一の指揮も違っていたし、選手たちの動きも違っていた。
最後まで足を止めることはなかったのである。
勝とうという意欲、執念を感じたのである。
2本目のペットボトルを開ける。
そして、延長戦は、山形ワイヴァンズ6点、バンビシャス奈良5点。
合計で、山形ワイヴァンズ78点、バンビシャス奈良77点の1点差で、勝利をつかんだのである。
小関ライアン雄大は、男泣き。
彼の涙が、すべてを物語っていた。
そして、凍っていたものを溶かしてくれた気がした。
会場に詰め掛けた多くのブースターも、ファンも、隣の席の大神先生も、副社長も、そして自分も、涙を拭った。
そこの場に1人いなかったのは、石川裕一ヘッドコーチ。
1番勝ちたかった男である。
彼は、昨シーズンも、突然の棟方ヘッドコーチのエスケープで、チームの指揮を執り8連敗でシーズンを終える。
そして今季も2試合負けていた。
彼は最期の試合と覚悟して臨んだ一戦であった。
翌日、裕一へ…。
「ロッカールームで号泣していたろ?」
「ハイ…。
勝った瞬間、ロッカー室に駆け込みました。」
「良かった。よく頑張った!」
「みんなが一つになってくれました。」
「辛かったべ?」
「昨夜は悩みすぎて寝れませんでした。」
その繰り返しが、プロの指揮官へなる道だと話した。
NO RAIN
NO RAINBOW
雨がらなければ、虹は見えない。
昨日と今日、チームとスタッフ、そしてフロント全員で話をした。
残り10試合。
この体勢で、行く!
全員が同じ気持ちであった。
勝つことはそんなに簡単なことではない。
でも、正成が昨日言っていた。
「勝つことが全てです。勝ちます。」
その言葉がある限り、戦っていけると確信したのである。
次の世代を担う子ども達にも、夢追い人たちの軌跡を、繋げていきたいと思うのである。