ちゃんと来てくださったのである。
やっぱり山下泰裕先輩である。
11月18日の土曜日、南陽市体育協会(和田広会長)創設50周年記念講演会に招かれていたが、その前の時間を活用して東海大学山形高等学校の新校舎を見学に来てくださったのだ。
山下泰裕氏は、東海大学で自分が1回生の時の4回生。
1度、学生の時、湘南校舎で突然声をかけられた。
「鉛筆かボールペンを貸してもらえないか?」
小さな原付バイクに柔道着姿。
持っていたボールペンをお貸しすると、急いで消えていかれた。
その後、30分くらいしたら、遠くから「おーい!いたいた。」と山下先輩の声。
わざわざペンを届けに来てくれたのだ。
それも、何だったかは忘れたが、お菓子をひとつもらった。
「お礼だよ。」と、また消えていかれた。
「忙しい人だなぁ」と思ったが、それ以上に、こんなに律儀な先輩っているんだと驚いたのだった。
当時、東海大学には、柔道の山下泰裕さんと、野球の原辰徳さんという、すでに全国区の先輩がいた。
誰もが知っていた。
その時、自分たち仲間は、あんなに偉大な先輩が、後輩であってもちゃんと筋道を通してくれるんだと驚き、感激したのである。
その後、1984年ロサンゼルスオリンピック無差別級決勝で、右足わケガしながら金メダルを取り、男泣きをした。
テレビを見て、自分たちも泣いた。
それから随分時が経ち、自分が東海大学山形高等学校の理事長になり、東海大学教授団をお迎えするにあたり、団長として山形入りされたのが4、5年前。
2度目の出会いである。
その時も、隣で食事をしながら、東海大学のことなどを話した。
そして、3度目の再会がこの日。
阿部校長、山内副理事長と一緒に。
その後、新校舎を案内する。
わざわざ職員室にも顔を出してくださり、引っ越し中でバタバタしていたが、先生方へも声をかけて下さる。
やはり柔道場を見たいとのことで、石川顧問から案内してもらう。
柔道部の生徒も、遠巻きに眺めていた。
そうしたら山下泰裕副学長は、「一言話すか!」と、彼らに語り出した。
それも、とても熱くである!
勝つことにこだわるのは当然であり、だから一生懸命練習もしなければならない。
しかし、それだけではダメだ!
人間性を磨かないと。
相手を尊重し、礼節を重んじる。
勝てば良いというだけではないんだ!
今、自分たちは、一生懸命、5年前の問題があった柔道界を大改革している。
君たちも、人間として、柔道家として、人間力を兼ね備えたスポーツマンとして、東海大学グループの一員として、一緒に世界に誇れる柔道界を作っていこう!
そして、いつか、ここからも、世界に通用する選手が出てくることを、期待したい!
…こちらが感動する話であり、生徒たちは幸せである。
次に、全員と握手をして下さった。
そして、記念撮影。
何で自分のネクタイが、こんな時に曲がっているんだと思いながら、改めて山下泰裕先輩の、変わらぬ器の大きさを感じたのである。
理事長室では、「四山楼」の松花堂弁当と山形の芋煮を食べる。
芋煮が美味しい!と、言われていた。
次の日の山形新聞の記事である。
南陽市では、「目標を持って生きることの大切さ」を、話されたようだ。
帰路の新幹線の中の山下泰裕先輩と、メールのやり取りをしたが、お疲れなのに、キチンと皆様にお世話になったことよろしくお伝えくださいとあった。
柔道界、未だ、山下の前に山下なし、山下の後に山下なし…そう感じる。
勝つ強さだけではなく、人格、器の大きさをも養い、いずれ素晴らしい武道家が生まれることを、心から期待したい。
今回の、山下副学長の山形入りに際して、東海大学常務理事の後藤理事長室長のご尽力には、衷心より感謝と御礼を申し上げます。
ありがとうございます。