アンダーグラフとの出会いは、彼ら2006年6月21日にリリースした5枚目のシングル「ユビサキから世界を」の同名の映画を、自分の友人の行定勲監督がオリジナルの脚本を書き、山形市で映画を撮ることになり、当時のケーブルテレビ山形が製作に参加するところから始まる。
それから10年以上が経つが、アンダーグラフのメンバーは、いつも変わらずに山形を訪れてくれるのである。
自分のデスクの周りには、様々な俳優さんからの手紙やサインなどが飾られているが、社長室が出来て、1番早くデスクの真後ろに飾っのが、行定勲監督とアンダーグラフののメンバーのサイン入りの「ユビサキから世界を」のポスターである。
あの時、まだ円形の山本学園のステキな校舎を、山本理事長のご理解とご協力のもと、映画のロケ地とさせて頂いた。
あの時、あの映画を行定監督が作っていなかったら、ひょっとしたら、映画監督の行定勲は、今は存在してなかったかもしれないくらいの、重要なターニングポイントであった時期であった。
谷村美月ちゃんや、北乃きいちゃん。
成人してからの彼女らとは、ホリプロの谷村美月ちゃんは「神様のパズル」で、フォスターの北乃きいちゃんは「ヨコハマ物語」でムービーオンにて再会する。
アンダーグラフは、メンバーは4人から3人になったが、あの頃から、彼ら独特な温もりや優しさは変わらないのである。
特に真戸原君にいたっては、本当に何かあるたびに顔を出したり、語り合ったり、飯を食ったりしてきた。
YMF山形国際ムービーフェスティバルにも、数年にわたり、ぶらりと参加してくれる。
出演するライブもなければ、歌う予定や設定もないのにである…。
ただただ、みんなと語り合いたい、一緒に過ごしたいだけで、彼は山形まで来てしまうのだ!
そんな真戸原君に、言ってみた。
さりげなくだが、マジ本気で…。
「YMF山形国際ムービーフェスティバル」のテーマ曲を作って欲しいと…。
彼は、2つ返事で、「マジっすか?もちろんデス!」
とても嬉しかった。
阿吽の呼吸である。
これまでは、アーリーの「僕は…。」を、何年もテーマ曲として使っていたが、アーリーも事務所を辞め、アーチスト活動を止めたので、そろそろとは思っていたのだが、やはり自分の映画の原点は「ユビサキから世界を」であるし、アンダーグラフのメンバーが、めちゃくちゃ好きなので、心からお願いしたつもりである。
その時の夜の1シーン。
そして、数日前に、音源が送られてきた。
感激、感動、感謝である。
素晴らしい楽曲…タイトルは、「まだ見ぬ世界を映しながら」
何十回も聴いたし、何十人にも聴かせた。
ひょっとしたら、今回のYMF山形国際ムービーフェスティバルの最終日、アンダーグラフのライブを予定しているが、そこで、生で聴けるかもしれない。
是非、YMF山形国際ムービーフェスティバルに集う若者達の応援歌!
アンダーグラフの真戸原書き下ろしの渾身の一曲を、楽しみにしてもらいたい!