当時のライブドアの堀江貴文社長や、そして多くのIT関係やベンチャー企業の仲間たち、当然ニュースや雑誌で名前はずっと知っていた。
大和田廣樹氏。
インターネット研究所(IRI)を藤原氏と設立し、1999年に、東証マザーズ第1号として上場を果たす。
ペンギンは、集団で長い時間行ったり来たりする。
すぐそこの海に飛び込めば、最高のご馳走である魚が沢山いるのに、なかなか飛び込めない。
その海との間に、命を奪われるかもしれないオットセイやセイウチがいるからである。
しかし、勇気ある1匹が、危険を犯しても、海に飛び込むと、他のペンギンもそれに続く。
最初の勇気ある1匹を、ファーストペンギンと呼ぶ。
人間社会も同じである。
ファーストペンギンの勇気は、「無」から「有」を生む、クリエイティブにも通じる。
実際、その後のIT企業やベンチャー企業の上場が社会現象となった。
そして、六本木ヒルズやヒルズ族などへと繋がっていく。
時代の扉をこじ開けたのは、まさに大和田社長たちである。
その後、彼は、2005年に大証ヘラクレスにブロードバンドタワーを上場する。
さらに、2015年に、イードを東証マザーズに上場するのである。
その他、顧問としてさらに2社も上場させる、経営者としては、まさにトップランナーである。
現在は、ドリームキッドの社長と、ブロードバンドタワーに副会長として戻る。
先日、ホリエモンこと堀江貴文氏、レッドライスメディウムの渡邊裕子社長と続き、今回、大和田社長が山形入りしてくれたのである。
自分と初めて会ったのが、パスラボ山形ワイヴァンズのBリーグのホーム試合会場の山形県総合運動公園特設アリーナ。
昨日の4月15日(土)の、岩手ビッグブルズ戦の直前である。
熊本地震でお亡くなりになった方々への来場者全員での黙祷のあと、大和田社長と渡邊裕子ちゃんは、自分達の隣で山形ワイヴァンズを応援してくださる。
大和田さんは、かなりバスケットボールが詳しい。
それもそのはず、高校時代に、神奈川県代表の国体選手だったそうである。
口ずさむ言葉から、バスケットボールでも、本質をつく鋭いコメントを放っていた。
慶應大学のバスケット部が、当時弱かった為に、バスケットは辞めたそうである。
そもそも、自分が大和田社長を強く意識したのは、2005年の、第1回YMF山形国際ムービーフェスティバルをホリエモンことライブドアの堀江貴文社長と共同で開催した時。
よく、堀江社長の周囲の方々から、大和田社長の話を聞いたからである。
この日、バスケットボール会場に来る前に、ムービーオンを見学してくださった。
そして、試合が終わり、まっすぐ懇親会の亀松閣へ。
この日の山形県産日本酒は、「壷天」と「上喜元」
裕子ちゃんとも、会おうとしていた時期に起きたライブドア事件。
やっと今年になり、15年近く経って、時計の針が動き出したのだ。
同じように、大和田さんとも共通の友人が多勢いて、お互いがお互いを認識していたのに、この日が初対面になったのである。
お互いの仕事や事業内容や、改めてダイバーシティメディアやYMFムービーフェスティバルの話などもし、今後の方向性が、自然と一致していく。
この日、改めて分かったことは、とても価値観が似ているということ。
そして、人生の目的が似ている。
さらに、彼はペンネームで本や脚本を書いていて、自分もペンネームで作詞作曲をしているということ。
もっと言うと、大学時代に自分が住んでいたのが小田急線の相模大野駅周辺で、隣の小田急相模原駅周辺に大和田家があったそうで、自分の住んでいたマンションを、大和田さんは知っていたのだ。
そんな人は、これまで社会人になって出会ったことはない。
驚きである!
史恵女将の気丈な姿が、新たなこの老舗料亭の力となり、歴史を作って行く。
あまりにも沢山の話を夜中の1時まで続けた。
今年より、大和田さんからは、YMF山形国際ムービーフェスティバルの特別顧問に就任いただく。
彼のプロデューサーとしての作品は、「寄子」「ドルフィンブルーカインとアベル」「ぐるりのこと」「GOEMON」「ディストラクション・ベイビーズ」など。
その他沢山ある。
何と言っても、探偵事務所シリーズは、あまりにも有名である。
YMF製作映画3企画にも、参加してくださる。
5つも企業を上場させ、時価総額1兆円の企業を作った男が愛するものは、なんと、次の世代の若者たちへのチャンスの創出機会であった。
感動とリスペクトと友情が湧いて来る。
これから、どんな繋がりを持つのか、持てるのか、とても楽しみな夜であった。
物語は、始まったばかりである。