5月17日(火)の午後6時から、里之宮「湯殿山神社」において、創建140年奉祝大祭の宵宮祭が行われた。
140年前の明治9年、初代県令の三島通庸氏により、旧県庁と県民の守護神として創建されたのが、湯殿山神社である。
さらには、昭和58年3月、山形市役所庁舎移転に伴い、山形市役所と山形市中心部の守護神としての役割も担った。
渋谷宮司の祝詞のもと、初代県令の三島通庸氏の5代目にあたる三島通文氏ご夫妻も参列し、厳かに、宵宮祭が行われた。
その後、三島家から寄贈された、若き三島通庸が、寺田屋に討ち入りした際に、羽織の中に縫い付けていた皇国の歌の掛け軸が披露された。
さらに、山形県の三島神社の社殿の中にあった、明治の写真家である菊地新学が撮影した写真が見つかり、それを長谷川雅也氏がレリーフにしたとのこと。
三島ご夫妻と自分。
とても光栄である。
また、湯殿山神社に対して、伊勢神宮司庁より、神宝を二つ賜り、披露された。
今年の2月28日に、賜った、御靭と、御鏡である。
素晴らしい宝が、湯殿山神社に、展示された。
その後、氏子若衆による、御祓が行われた。
その後、香味庵にて、神社関係者が集まり、直会(なおらい)が行われた。
山形県でただ一人の、浄階特級の渋谷宮司からの挨拶があり、この140年記念事業の趣旨が述べられた。
三島通文氏からも、山形とのご縁を大切にしたい旨の話があった。
自分は、鹿野道彦奉賛会長の代わりに、副会長として、乾杯の挨拶をさせていただく。
自分の親族には、山形警察署長、山形市長、山形県知事がおり、三島通庸県令の役目の後を、時空を越えて引き継いでいること、さらには、ここで、乾杯の栄誉を賜ったこと、渋谷宮司が、全国2万2千人の神職の中で122人の最高位に居られることなど、話させていただいた。
その後、宴席は続くのである。
明日は、午前10時から、奉祝大祭、その後、神輿渡御。
夜は、雅楽の夕べで、140年奉祝大祭が完結するのである。
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三島通庸初代県令の5代目を迎えて…宵宮祭
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