3月14日の木曜日、午後6時30分より、ホテルメトロポリタン山形にて、レーサーの黒田吉隆くんのオートGPワールドシリーズ参戦の壮行会が開催された。
発起人代表の岡崎弥平治氏から、同じ蔵王地区に住む人間としての関係や、山形からF1レーサーを出そう!との呼び掛け等があった。
その後、2006年から『黒田吉高サポーターズクラブ』の会長をしている自分の挨拶となる。
7年前、初めて黒田吉高くんと会った時は、ちょうどレッドブルが世界中から、将来有望なジュニアを集めて、スカラシップを与える16人に、彼がアジア人として、初めて選ばれた頃であった。
その時期は、レッドブルはF1に2チームを所有していて、レーシング界を牽引していた。
また、彼は幼少時から、現在の吉村美栄子山形県知事の亡き夫の故吉村和彦氏から少林寺憲法を習っていた。
そこで『死生観』などを学んだのだろうと話した。
ケーブルテレビ山形も、昨年のシリーズから、ユニフォームとレーシングカーへ、若干のクライアントフィーを出し、ケーブルテレビ山形のロゴマークを入れたのである。
その後、黒田吉高くんからは、会場のみんなへのお礼と両親への感謝、そして、今シーズンへ向けた決意表明があった。
青年会議所の井上周士理事長の乾杯で祝宴が始まる。
山本製作所の山本丈実社長による、中締めで、約60人強のパーティーが締まる。
ある意味、年齢的にもラストチャンスの数年であろう。
チームスタッフと、気持ちを1つにして頑張ってほしいものである。
最後に、突然共同記者会見のインタビューをまかされた、ケーブルテレビ山形新人のヨモンリポーター。
まだ、入社し2週間目であり、真っ白になっていた。
しかし、その失敗の場数を踏むことが、次に繋がるのである。
レーサー黒田吉高、彼が奇跡を呼び起こし、F1レーサーになることを夢みているのである。
発起人代表の岡崎弥平治氏から、同じ蔵王地区に住む人間としての関係や、山形からF1レーサーを出そう!との呼び掛け等があった。
その後、2006年から『黒田吉高サポーターズクラブ』の会長をしている自分の挨拶となる。
7年前、初めて黒田吉高くんと会った時は、ちょうどレッドブルが世界中から、将来有望なジュニアを集めて、スカラシップを与える16人に、彼がアジア人として、初めて選ばれた頃であった。
その時期は、レッドブルはF1に2チームを所有していて、レーシング界を牽引していた。
また、彼は幼少時から、現在の吉村美栄子山形県知事の亡き夫の故吉村和彦氏から少林寺憲法を習っていた。
そこで『死生観』などを学んだのだろうと話した。
ケーブルテレビ山形も、昨年のシリーズから、ユニフォームとレーシングカーへ、若干のクライアントフィーを出し、ケーブルテレビ山形のロゴマークを入れたのである。
その後、黒田吉高くんからは、会場のみんなへのお礼と両親への感謝、そして、今シーズンへ向けた決意表明があった。
青年会議所の井上周士理事長の乾杯で祝宴が始まる。
山本製作所の山本丈実社長による、中締めで、約60人強のパーティーが締まる。
ある意味、年齢的にもラストチャンスの数年であろう。
チームスタッフと、気持ちを1つにして頑張ってほしいものである。
最後に、突然共同記者会見のインタビューをまかされた、ケーブルテレビ山形新人のヨモンリポーター。
まだ、入社し2週間目であり、真っ白になっていた。
しかし、その失敗の場数を踏むことが、次に繋がるのである。
レーサー黒田吉高、彼が奇跡を呼び起こし、F1レーサーになることを夢みているのである。