今から約25年も前の山形市の話。
山形市のトップである市長が、6期24年間も代わらず、同じ人がこの街を治めていた頃、お隣の仙台市は、いつの間にか山形の3倍以上の市になっていた。
そんな現状ではダメだ!と気づき出したのは、若者と女性だった。
24年の間に、その巨大化した権力はとてつもなく大きく太く、誰もが挑むことを止めていた。
中学2年生で、山形警察署長だった父を亡くし、6人兄弟の末っ子だった少年は、奨学金で山形大学を卒業し政治の道へ進む。
30代の県議会議員となり、4期連続トップ当選を経て、その巨大化した権力に挑む。
その時の山形市長選挙の、選挙対策本部長に就いたのが、故 畑 栄運氏であり、この4月4日にご逝去した、畑 澄子氏のご主人である。
その時、市長選挙に挑んだ、自分の父は、生涯「畑 栄運氏」を尊敬して止まなかった。
当然であろう。
あの巨大権力に対して、迎合することなく、「ダメなものはダメ!」と声を大にした男であったのだ。
その精神は、その子息である「畑 栄明氏」にも受け継がれていく。
彼は、20代、30代の若者による、「Y の会」を結成する。
会員は、最終的に20000人に上った。
これは、これまでの東北地区の個人後援会青年部では、最大会員数であり、未だに塗り替えられていない。
父は、3度敗れ、4度目で山形市長になり、現職のまま、病で死去した。
当時、自分は42歳、弟は29歳だった。
畑 栄運氏は、18年前の4月4日に亡くなった。
日蓮宗では、山形の歴史で、最も高い地位の僧侶であった。
その、栄運氏と同じ4月4日に、澄子夫人が亡くなったのである。
当日の夜、お伺いし、ご尊顔に、心からの感謝の意を伝えた。
浄光寺は、由緒ある素晴らしい寺院であり、4月8日の葬儀の際には、全国から、高僧方が参列されていた。
驚きの葬儀であった。
圧巻の葬儀であった。
感動の葬儀であった。
数十人の僧侶の方々が、声を絞り出すように、大きな声でお経を大合唱する。
葬儀ではあるが、悲しい時間というより、眩しく荘厳な違う世界にいるような気がした。
きっと、澄子夫人は、勢いよく、天高く旅立たれて行かれたと思った。
畑家との繋がりは、永遠のものだと思っている。
自分の父が、築地の癌センターへ入院した時、毎日のように、栄明氏の妹怜子さんと、ご主人の俳優・天宮良さんが、漢方薬を届けてくださった。
皆さんに感謝である。
願わくば、澄子夫人の御霊が、安らかに安らかに、栄運様の御霊と共に、あられることを祈念致したい。
合掌
↧
畑 澄子様 ご逝去
↧