大学時代、よく友人たちと未来を語った。
親の仕事や、友人たちの家業や、町の酒屋さんや八百屋さんなどを通してしか『社会』というものを、知らなかった。
新聞やテレビのニュースなども、社会を知るにはとても良いアイテムだったのだが…。
本当の社会を知るには、その後数年を要する。
当時は、まさに机上の空論。
自分の等身大のチカラは社会にはまるで通用しないのに、そのことには蓋をして、自分たちの都合の良い未来を語り合っていたような気がする。
しかし、夢がエネルギーとなり、生きるチカラの糧となっていたのは事実である。。
あの頃の最大の強味は、未来がどこまでも続いているという『永遠』という錯覚。
その錯覚すらも、希望や夢や恋愛を醸し出していく原動力になった…。
実際に社会人になってみると、『小さな自分』と出会い、次第に夢から覚めた現実を直視なければならず、何度も負けそうになった。
端山貢明先生は、『人生とは問題解決の連続』と話されていたのを記憶している。
『人生とは、重い荷物を背負って、山道を登るが如し』と言ったのは、徳川家康である。
社会人1年生の頃と、今の問題の大きさや深刻さを比べると、あまりに違いすぎる。
そんな人生も、永遠の意味も、今では違う意味に思える。
でも、夢は一度も諦めたことはない。
いや、むしろ夢をカタチにする、願いに結果を出す時期が来ているような気がしてならない。
だから、命がけで、夢を叶える為にも、どんな問題や課題がそびえ立とうが、逃げずに向かい合いたい☆
最近は、問題がない日が無いくらいに、様々なことが起きる。
目を背けず、ひとつひとつ、カタチにしていくつもりである。
夢を夢のままでは、終わらせられないのだ…。
親の仕事や、友人たちの家業や、町の酒屋さんや八百屋さんなどを通してしか『社会』というものを、知らなかった。
新聞やテレビのニュースなども、社会を知るにはとても良いアイテムだったのだが…。
本当の社会を知るには、その後数年を要する。
当時は、まさに机上の空論。
自分の等身大のチカラは社会にはまるで通用しないのに、そのことには蓋をして、自分たちの都合の良い未来を語り合っていたような気がする。
しかし、夢がエネルギーとなり、生きるチカラの糧となっていたのは事実である。。
あの頃の最大の強味は、未来がどこまでも続いているという『永遠』という錯覚。
その錯覚すらも、希望や夢や恋愛を醸し出していく原動力になった…。
実際に社会人になってみると、『小さな自分』と出会い、次第に夢から覚めた現実を直視なければならず、何度も負けそうになった。
端山貢明先生は、『人生とは問題解決の連続』と話されていたのを記憶している。
『人生とは、重い荷物を背負って、山道を登るが如し』と言ったのは、徳川家康である。
社会人1年生の頃と、今の問題の大きさや深刻さを比べると、あまりに違いすぎる。
そんな人生も、永遠の意味も、今では違う意味に思える。
でも、夢は一度も諦めたことはない。
いや、むしろ夢をカタチにする、願いに結果を出す時期が来ているような気がしてならない。
だから、命がけで、夢を叶える為にも、どんな問題や課題がそびえ立とうが、逃げずに向かい合いたい☆
最近は、問題がない日が無いくらいに、様々なことが起きる。
目を背けず、ひとつひとつ、カタチにしていくつもりである。
夢を夢のままでは、終わらせられないのだ…。